メモ:黄道座標と赤道座標の変換

以下のメモはほぼ次の論文をベースにしており、図版や数式もここから引用しています。
Archive for History of Exact Sciences (2018) 72:547–563

プトレマイオス以降のギリシャ系の天文学黄道座標系を用います。これは、日月惑星の年周運動の記述には大層便利です。しかし、黄道は日周運動で地平面に対して動いてしまいます。この点からすると赤道座標の方が便利で、ティコ・ブラーエ以降の西洋天文学で赤道座標が好まれる理由となっています。また、日周運動の分析には赤道座標が有用であって、プトレマイオス赤経赤緯を有用な特徴量として用いました(ただし、座標系としては用いていません)*1また、度々述べてきたように、中国では赤道座標系が標準で、ただし日月惑星の理論に於いては黄経を有用な特徴量として用いました。

つまりいずれの伝統に於いても、この二つの座標の間の変換に相当する計算は重要でした。中国に於いては模型を使った実測に補完法的な数理を適用して、半ば算術的にアプローチしています。一方、西方の天文学では三角法を駆使します。

しかしながら、以下に述べるようにこの計算は決して容易ではありませんでした。

アルマゲスト
図1

まず、プトレマイオスアルマゲスト』の理論から。以下では、

とします。添字に「○の中に点」がついている場合は、太陽の値です。もちろん太陽に対しては、βは常にゼロです。

プトレマイオスは、太陽について


を示し、これらを用いて太陽の赤経赤緯を計算しました。ただし、ここでは簡単のために現代的な記法を用いています。当時はsin, cos, tanはなく、半径が60の円の円弧の長さを用いました。導出には、いわゆるメネラオスの定理を用いいています。

図2

太陽の場合はβがゼロだったので簡単だったのですが、一般の場合については、プトレマイオスは最終的な答えに到達していません。彼は

に相当する関係を示したのですが、XZの求め方には言及していません。15世紀前半までのヨーロッパでは、点Xの赤緯で近似したようです。

論文には特にコメントはないのですが、古代末期や中世の初期でも同様だったのでは…と思います。

東方アラビア語

この問題に最初に正しく答えたのは、10世紀のエジプトの天文学者ibn Yunusでした。彼は赤道と黄道の役割を入れ替えます。すると、点Zは新たな座標系では「黄道」にあり、角度XZはその「赤緯」に相当します。よって、プトレマイオスの太陽の座標変換の理論を読み替えれば解決してしまいます。

このやり方は、東方アラビア語圏では広く定着したようですが、ヨーロッパへの影響はなかったようです。ヨーロッパに直接影響を与えたのは西方スペインの天文学ですが、これはibn Yunusのころには東方から分岐して独自の道を歩んでいました。

ビアンキニとレギオモンタヌス

ヨーロッパでこの問題を解決したのは、15世紀半ばのイタリアの天文学者ビアンキニでした。彼はイブン・ユーヌスと同じ解法もやったようですが、最終的にはγZを最初に求めそこからXZを求める方法にに落ち着いたようです。また、黄道座標から赤道座標を求める表を整備しました。

レギオモンタヌスは最新の印刷技術たる活版印刷を積極的に活用して、多くの数学・天文学の著作を公表していました。ビアンキニの手法も彼の著作に取り入れられて広まりました。その際、レギオモンタヌスは出所を明記せず、のちにカルダノに「剽窃」と批判されたようです。

座標変換は難しかった

以上見てきたように、10世紀のibn Yunusあたりまでは、この座標変換の計算は世界中どこでも困難でした。

天体の球面座標を測るアーミラリー球(渾天儀)には、黄道環と赤道環の両方がついていて、どちらの座標系でも観測ができるようになっていました。『新唐書』によると白道環を備えたものまであったようです。環を増やすと仕組みは複雑になって重量も増え、精度に悪い影響があります。にも関わらずこれらの機器が作成されたのは、計算の困難さや手間の多さが一因だと思います。

アラビア語圏での発展について

冒頭に掲げた参考文献の主題はビアンキニの数理天文学への貢献で、よってアラビア語圏での発展については、最低限のことしか書かれていません。ibn Yunus以降、いったいどういった進展があったのか?これは調べてみたいところです。

球面三角法はibn Yunus の時代の他の巨人たち(ビールーニ、アブル・ワファー)によって面目を一新します。従来のメネラオスの定理一本槍ではなく、球面三角形を全面におしだし、13世紀のトゥーシーに至っては現在知られる基本的な関係が全て揃います。マッカの方向を知る算法(キブラ)などは基本的には座標変換であるし、座標変換の計算手法がibn Yunusの段階に留まったとは到底思えないのですが。


その他の参考文献
[1] Pedersen, O. https://link.springer.com/book/10.1007/978-0-387-84826-6

*1:Pedersen,pp. 99-101