メモ;ボエティウス『音楽教程』の解説を読んでみた

講談社学術文庫から、ボエティウス『音楽教程』の邦訳が出ました。

音楽といっても、この本においては音楽的な実践の位置は低く、数理科学の一分科なのです。私の音楽理論史への興味(といって何を読んだでもないんですけど)もそちら方面のことで、特に比や比例、数と量の関係がどんなふうに扱われているかを知りたいと思い、手をとったのです。

今のところは、そのあたりを読み込むまでにいかず、解説を読んで本文の最初の一章を読んだところで、MPがきれてしまいした。次にこの本に手を伸ばすのはいつになるかわからんので、印象をメモします。

  • 若い頃はアテネで学んだらしい。

なお、英語のWikipediaで見ると、これはCassiodorsの手紙が根拠でらしい。アテネ留学説に対してアレクサンドリア説やそもそも留学なんかしてない説もWik書かれていました。割と重要なことだと思うので、いつか掲げられた参考文献をよめたらよいな…と思っています。いずれにせよ、ますます希少になりつつあった高度なギリシャ語の能力は、彼の重要な武器でした。

  • ボエティウスの『算術』は、ニコマコス『算術』のラテン語化らしい。『幾何学』は残っていない。『天文学』は書かれたかどうか不明(計画はあったらしい、と別の何かで読んだ)。『音楽教程』の第二章まではニコマコスの失われた音楽理論書によるのでは、との推測もあるらしい。

なお、ニコマコスのこの本は、数論とか数列、平均(中項)など、「高尚な」話題が多く、『九章算術』などとはスコープがずれています。つまり、算術という分野の意味がちょっと違う。一方、より実際的な算術として、ロジスティクスという分野がありましたが、著作としてはのこっていません。

  • 数理科学に4つの分野をあげた。

すなわち算術、音楽、幾何、天文。『音楽教程』の最初の方にでてくる。後の中世の大学の自由7科には、これら4つの数理科学、があげられている。

なお、古代では数理科学的な学問としては、このほか上記のロジスティクスや、視学(幾何光学に似た幾何学的な視覚論)、機械学(ヘロン、パップスなど)などを上げることができます。

ボエティウスがこれらを主要な科目に上げていないのは、いくつかの可能性があると思いますが、多分、視学は幾何または天文に従属させ、残りは数理科学としては認めない。。。といった感じではと思います。

  • 第一章の最初に感覚についての簡単な記述。アリストテレス形而上学』第一巻の出だしを思わせる。視覚はすべての動物に備わっていること。視覚の理論が、形相の流入と視線の流出の2つにまとめられているのが印象的。

古代で流入説といえば、ほぼ原子論者のエイドロンの流入の理論ですが、一部のアリストテレス注釈者(アフロディシアスのアレクサンドロス、ピロポノス)はアリストテレス的な「色」の流入説です。また、古代の文献では、目からの流出の説が非常に優勢で、2つか3つくらいに分類されることが多い(アレクサンドロスとかは違うかもしれません)。よって史家の中には、それら説を「流出説」とまとめるのはアナクロニズムだという人もいます。このボエティウスのような二項分類は珍しいです。

まあ新ピタゴラス主義の影響かと…

  • 第二章は煩雑は比の議論。ボエティウス自身も章を閉じるにあたり「煩雑なのでこのへんで」と終わる。

「煩雑」の一端は、比率を扱う独特の数理も原因だと思います。なお、本解説で比の合成のことを「足し算」としています。これは、現代でいえば比の値の掛け算に相当します。古代におけるイメージは足し算に近いとされますが、そもそも演算としてすら考えられていなかった操作です。このあたりのニュアンスがボエティウスで変わっているならば、適切な語法だと思います。

  • 第三章ではモノコード(一弦琴)の分割を扱う。プトレマイオスや(たぶん偽)ユークリッドに依拠。アリストクサネスの非数理的な議論には批判的。

図をみると、モノコードの弦を支えるコマが半円だが、これはプトレマイオスによる工夫です(水平に作成できていなくても比率が歪まない)。

  • ピタゴラスが鍛冶屋の前を通ったとき、槌の重さと音の高さの関係に気がついた」という例の逸話を中世欧州に広めた犯人はこの本。(最古の文献は、ニコマコスだっけ)

この解説では、「重さなんか関係ない、こういう根拠のない説を無批判に引用するから中世はだめなのだ」的なことを、かなり強い調子で書いています。

叩く力と振動の周波数の分布が本当に無関係かどうかは傍に置くとして、確かに、ピタゴラス学派の説は振動部の長さと音高の関係の説なので、このような逸話とは噛み合いません。また、中世は,やたらと古くからの言い伝えを繰り返す時代ではありますが、この解説のようにベーコンの「劇場のイドラ」と絡めて非合理性をなじるとなると、ちょっと行き過ぎではないかと思います。現代の科学の教科書でも、辻褄の合わない発見史を導入の枕にしたりします。

また、本解説ではボエティウスの継承に留まり続ける中世の音楽理論、特に比と比例の衒学的な議論に基づく正当化の不毛さを、これでもかと強調します。ここは非常に印象的で、学びが多かったなと感じる部分です。

しかしながら、近代以降の学問と中世の学問を対比するにあたって、F.ベーコン『新オルガノン』の帰納法を非常に重視し、それ意外の要素に全く触れていないのは、あまりバランスが取れているとはいえないと思うのです。近代科学の形成に関する様々な議論が、ほとんど無視されているような。

解説では、中世までのボエティウス的な理論と近代以降のラモーやダランベールの議論と比較されているのですが、この違いの原因も、帰納法の重視がとにかく強調されています。しかし、ダランベールもラモーも当時の最新の物理学のお世話になっており、そして物理学の発展は帰納法の重視だけでは説明できません。

それから、本解説で音律学が停滞していたとする時代、他の学問は(中世の前半を除くと)必ずしも停滞していません。停滞には、音律学そのものの特殊な事情があるのではないかと思います。