メモ:『雪華図説』以前のこと


土井利位『雪華図説』(1832年)が『北越図譜』に引用されたことが、雪華文の流行を引き起こした…という話を聞くので、この前後で雪華や雪輪文がどうかわったのか検索してみようかと思いました。昨晩、文化遺産オンライン*1で「雪華」を検索したところ、いきなり東京国立博物館蔵の『雪華文七宝鐔』がひっかかりました。

『雪華文七宝鐔』東京国立博物館https://webarchives.tnm.jp
『雪華文七宝鐔』の図柄はどこから来たか?

この紋様は、あきらかに雪の結晶の顕微鏡観察をベースにしています。『雪華図説』の影響の良い例…と思って年代を確認したところ、なんと文政11年(1828年。)。つまり、『雪華図説』より全然前です。まだまだ土井利位が『雪華図説』の元となるデータを集めている途中です。

あるいは『雪華図説』の出発点となった、J. F. Martinet"Katechismus der natuur" の第一巻(1777年)を参考にしたのでしょうか?

J. F. Martinet "Katechismus der natuur"

しかし、この書物に出ている雪の結晶図は、上に掲げたもので全てです。詩的なイマジネーションでふくらませたのかもしれませんが、若干足りない気がします。

『雪華図説』以前、公刊された雪の結晶の描画といえば、司馬江漢(1747-1818)の版画「雪花図」です。

司馬江漢銅版画 [雪花図]、京都大学付属博物館蔵https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00013554

しかし、これにデカデカと書かれている、12および24の枝をもつパターンが『雪華文七宝鐔』にはありません。

何か未知の情報源を設定するのか、『雪華図説』の元となったスケッチが先行して一部回覧されていた可能性を考えるのか?あるいは、乏しい情報源から芸術家の想像力で補ったか?

司馬江漢の情報源は?

また、司馬江漢「雪花図」も中々興味深い一枚です。

  1. 十二や二十四など、六の倍数の枝が可能だとする
  2. 針状や柱状、不定形の結晶も描いている
  3. 「蘭書マルチネト」が情報源

1については、私は中国の伝統説から派生したのではと思います。前のブログで述べたように、このように「数」に着目した説明は、中国の伝統的な理論です。欧州ではどこかしら幾何的な要素が入ります。
gejikeiji.hatenablog.com

2について。この銅版画を江漢自らの観察記録か、とする説明をしばしば見るのですが、こういった「美的にはぱっとしないが自然科学的には重要」な観察は、自然科学的な深い問題意識が必要となると思います。江漢本人が観察したにせよ、やはりガイドとなる書物があったはず。

そこで3で指摘した「蘭書マルチネト」が注目されるのですが、上述の土井利位も依拠したJ. F. Martinet,"Katechismus der natuur"なのでしょうか?しかし、これには針状や不定形の図はありません。図だけでなく、テキストをGoogle翻訳で英語に直して読んだ範囲では*2、雪の結晶のバラエティーの多さ(400以上)と美しさへの賛美があるのみです。この書物からは、針状や不定形の観察をしようという動機は出てこないと思います。そもそも、江漢は欧州の言語を学術書を読解できるレベルで学んではおらず、蘭書を見たとしたら図版でしょう。

もう一つの候補として、

という旅行記があり、その中に雪の観察記録があるのです。(中谷宇吉郎は、最初こちらを土井利位の参考文献だと思ったようです。)

Spitzbergische oder groenlandische Reise Beschreibung gethan im Jahr 1671.

針状、不定形がこちらには載っています。しかし、こちらが日本に輸入されたという話は、今のところ聞きません。引用そのほか、間接的なアクセスが可能だったか、あるいは全然的外れか。

*1:https://bunka.nii.ac.jp/

*2:形状について言及している部分はオランダ語文もチェックしたので、大きな見落としはないと思います