中国の光学史

中国文明の光学の歴史をざっと振り返ってみる。

数年前、中国が量子通信衛星を打ち上げたとき、その名前の元になったのが戦国期の思想家墨子だった。彼の学派による『墨子』「経下」及び「経説下」に光学に関する八つの条文があるからだ。特に、その中のピンホール現象と思しき記述は、この現象の世界最古の記述とされる。確かに、アリストテレス派の『問題集』より(おそらくかなり)古い。ただし『問題集』のような、穴の形と像の関係についての観察はない。別の条には半影の記述も見られる。いずれも光の直進性の理解ははっきりとしている。

(『墨子』の「経説」は「経」の対応する条文の注になっている部分が多い。「経」は過度に簡潔だが、「経説」で補うと大体の意味は取れる。科学技術に関する多くの話題を含む。)

次にくるのは前漢の『淮南子』で、鏡での像、そして氷のレンズで光を集める実験などの雑駁な記載がある。西方でレンズでの集光が扱われだしたのは、中世になってからではないかと思うが、どうだろうか。少なくとも、『淮南子』よりも早いことはなさそうだ。

その後の三国時代南北朝、そして唐と特に何も記録にはないらしい。天文学や地図製作、そして数学ではそれなりの成果のあった時代だったのだが。

結局、次は北宋の技術官僚・沈括の『夢渓筆談』に飛ぶ。本書には、穴の大きさが無視できる場合に限ってではあるが、カメラ・オブスクラの像の倒立が、凹面鏡による倒立と並べて説明されている。共に像が一点で交錯して倒立するとされる。また、飛ぶ鳥を映し出す実験も披露されている。本書ではこのほか、「魔鏡」の記述もある。

最後は13〜14世紀、趙友欽(赵友钦、Zhao Youqin)の天文学書『革象新書』(革象新书)巻五の最初、小光景である。の字は隙間の意で、冒頭にこれの形や大きさによらず、太陽の像は必ず丸く、日食の際には欠ける様も見える、穴の大小はただ象の濃淡にのみ反映される、という簡潔で要を得た説明で始まる。そして、光源の明るさ、大きさ、形、そしてスクリーンまでの距離を変えられる大掛かりな装置を用いた実験が記述される。光源には多数のロウソクを備えた部屋を用い、そこに穿つ穴で光源の形や大きさを変えるのである。これが伝統的な光学の研究の最後だ。

Kyoto University Research Information Repository: 趙友欽の天文學

通して見ると、纏まった理論的な論考がないことに気がつく。『墨子』『夢渓筆談』はとにかく短すぎ、体系だった記述も豊かな内容も、読むまでもなく期待できない。いずれも、直進性への理解は随所に見られるが、幾何的な理論というほどのものはない。参考文献[1]ではユークリッド『光学』と『墨子』を同水準としていいるが、前者ほどの豊かな内容は後者にはない。『革象新書』はまだ詳しく検討できていないが、やや詳しいとは言え、西方の幾何光学のような精緻さはなさそうだ。ただし、これほど大規模で本格的な実験は、西方ではもう少しあとのことになる。

そもそも、光学関係の記録の数自体が非常に少ない。以上の全てを全て書き出しても、一冊の本を成すのにも全然足りない。『夢渓筆談』を見れば、カメラ・オブスクラや魔鏡など器具の製作はしっかりと進歩している。技術が失われたり後退したりはしていなさそうだ。しかるに、その間の記録が全くない。なぜか中国の知識人は科学技術に冷淡だ。

漢書』芸文志の六部の分類では、方技と術数という二つの部が理系的な学問に割り振られていた。しかし、『隋書』経籍志の四部の分類では、歴史学が史部として自立に至る一方、術数も方技も、諸氏百家や兵書、刑法と同じ子部に纏められてしまった。正史に於いても、技術や数理に関する話題は政治史に比べると無限小の分量しかない。

明の末から清の最初のころは、西欧の学問を取り入れる気風が盛んで、天文学や数学でも清朝の学者が早速独自の研究に手をつけていた。光学でも、Fang Yizhiが回析の実験を試みた。ポメランツ『大分岐』を持ち出すまでもなく、この頃の中国は十分先進的な国だった。ただ、数理には伝統的に弱かったので、この時期の取り組みが順調に継続していれば、その欠点を補って独自の近代文明を作れたかもしれない。

だが、康熙帝の後はこの流れは育たず、19世紀に改めて西欧の物理が本格的な輸入される。清朝末期から長いこと中国本土は政治的に大変な状況にあって、豊かな科学を育む状況にはなく、中国人の優れた研究は海外でなされてきた。それがまた近年活力を取り戻したのは喜ばしい限りだ。

参考文献
[1] WANG, J.,  WANG, C., Optics in China, in : Selin, H., et. al. ed., Encyclopaedia of the History of Science, Technology, and Medicine in Non-Western Cultures (Springer, 2008)