光学と科学史

光学と近代科学

 近代にいたる科学史の概説は、力学を軸に説明するすることが多い。近代科学の誕生はニュートン力学の成立史で語られ、19世紀末からの変動も量子力学相対性理論、いずれも力学の革新である。力学史こそは、我々素人愛好家にとって、科学史の主役と言っていい。

一方で上記の変革全てに密接に関わっている裏の主役に、「光学」を挙げることができる。

 まず、量子力学プランクの輻射の研究やアインシュタインの光量子仮説からのスタートしているのは誰もが知っている。特殊相対性理論の要は光速不変の原理だ。その後、場の量子論の最初の定式化は光子についてであったし、今流行の量子情報理論は、元々は物理としては量子光学でやっていた。

遡って、ニュートン力学場の理論に変容した時、電磁波としての光が重要な役割を果たしたのはいうまでもない。それに鑑みればヤングの光の波動論は科学史的な大事件だった。

そもそもの近代力学の創成期の16-17世紀、光学をモデルに新たな運動の理論を探り当てようとする動きは盛んだった。光学は一足先に数学と実験的手法の融合体として成熟していた上に、古代後期から中世以来、光の進行を投射体の、また反射を衝突のアナロジーで分析するのは、光学書の定番であった。特にイブン・アル・ハイサムの、鉛直方向と水平方向への分解に基づく分析は有名である。デカルトが運動量保存則の形成の前に光学の研究をしているのも、決して偶然ではない。

光学の起源

では、光学はいつからあるのだろうか。光学は英語でOpticsであり、遡るとこれはギリシャ語のoptikaである。アリストテレスは、数学と自然学の中間的な学問として、天文学や音律の学のほかにオプティカをあげる。彼の『気象論』は虹を光学的な現象として幾何的に分析した、最古の文献である。他の文化圏で同種のものはあまり聞かない。

ただし、アリストテレスはオプティカの内容について詳しく書き残しておらず、よくわからない点が多い。遡ってプラトン『国家』ではオプティカに触れられていない。分野が形成されていなかったか、あるいは未熟であったのか。プラトンも萌芽的なオプティカの知識を披露しているから、全く何もなかったのではなさそうだが。

現存最古のオプティカの書物は、ユークリッドのものである。これは『原論』のスタイルで整備されていいて、最初に提示したいくつかの基本的な命題から出発して、残りの全てを証明する。現代の物理も、基本法則から全てを導く(ことができるように努力している)から、ユークリッドのオプティカはその祖型といってよいかもしれない。また、ユークリッドは反射を扱った 『カトプトリカ』も著している。現在、反射光学をCatoptricsというのは、これに由来する。

ユークリッドの著作の内容や、もう少し時代の降ったゲミヌスなどの記述を見ると、古代の光学は、測量や天文学、作画といった応用と結びついていたといたといわれる。optikaは、ひょっとしたらこれらの技術から昇華したのかもしれない。

私には、このオプティカより古い物理の理論はちょっと思いつかない。 つまり、「光学」こそは最古の物理学理論であり、科学の全ての曲がり角で重要な役割を果たしてきた。「光学」を追いかけていけば、科学史のもう一つの道筋が見えるかもしれない。。。という妄想を若い頃もったものだった。

古代の「光学」は視覚論

だが、正直に言えばこれは光学の起源を不当に遡り過ぎているかもしれない。古代のオプティカは今の光学とはかなり違うからだ。そもそも「光の学」ですらない。この学問分野の主題は、光ではなくて視覚なのである。カトプトリカも鏡の視覚上の効果が主題で、心理学的な議論が最初から出てくる。よって、近年ではこれらを「視学」「反射視学」と称することが多いようだ。科学史家Mark Smithの光学史の通史の題は、"From Sight to Light"である。

From Sight to Light: The Passage from Ancient to Modern Optics, Smith

視覚の成立の機構の議論でも、光は主要な因子とはされなかった。視覚論には様々な説があったが、目からの放出物に中心的な役割を与える説、いわゆる流出説(外送説)が圧倒的に優勢だった。流出説にもいくつかのバージョンがあるが、上記のユークリッドの視覚論では、「視線」という射線が対象物をスキャンするのだという。プラトンストア派も流出説で、のちにガレノスはストア派的な理論を解剖学や生理学で補強する。

一方アリストテレスは「色」が空気を介して眼に届くとする理論を打ち出して、視線の理論の不合理を攻撃したが、無視できるほどに劣勢だった。むしろ、原子論者たちの「エイドロン eidolon」の理論の方が知られていた。エイドラとは、原子の層が物体から剥がれたもので、いわば物体のミニチュアである。これが適切なサイズに縮小して眼に飛び込んできて、視覚が成立する。

これらいずれの理論においても、光はせいぜい環境を整える程度の役割しかない。あえて言えばプラトンの理論での太陽光の役割は比較的大きいのだが、やはり視線が視覚情報を持ち帰るのである。

視覚論以外にも光に関係した研究はあった。例えば、アルキメデスの伝説に象徴される、光を一点に集める鏡、すなわち焦鏡(Burning mirror)の話題は、円錐曲線論と組み合わさって中々高度な理論になっていた。例えばディオクレス『焦鏡』は放物線で平行光線が焦点に集まることを主張する、高度な内容である。だが鏡による像は扱わない。一方、ヘロン『反射視学』やプトレマイオス『視学』では、像は扱っても焦鏡は扱わない。両者は独立したテーマだとされることが多かったようだ。

そのほか、光が関係する問題といえば、アリストテレス『気象論』第三巻の虹、暈、幻日といった、気象光学現象がある。これは自然学の一部として、主に『気象論』への注釈を通じて研究されつづけることになる。

From Sight to Light

これらの成果を統合し、光の学たる光学の形成に大きく寄与したのが、10-11世紀にエジプトで活躍したイブン・アル・ハイサムだった。彼は光を主軸に視覚論を再編成し、また「焦鏡」や虹など別の分野で行われていた問題も統一的な手法で扱った。そして反射や屈折の幾何的な理論を洗練し、影やカメラ・オブスクラの理論を整備した。実験や観察による検証を多用したのも、彼の光学の特色である。

光学が光の物理学として最終的に成立するのは近代になってからではあるが、彼の光学研究が無ければ「近代の光学の誕生は無かったとまではいわないが、非常に難しかっただろう(Mark Smith)」と言われる。彼の光学書は、幾度かラテン語に翻訳され、ロジャー・ベーコン、ウィテロ、ケプラーデカルトなどに大きな影響を与えるのである。