天動説は「間違って」いたのか?

 

天動説は間違っている」という言い方には、古典力学が間違っている、というのと同じ程度に違和感を感じる、というツイートをした。

まず話の前提として、「古典力学が間違っている」という言葉の意味を、はっきりとさせておかないといけない。一言でいうと、古典力学は徹頭徹尾間違っている。

古典力学は根本的に間違っている

量子力学古典力学の違いは、方程式がちょっと違うとか、より精度が上がるとか、そういった小さな話ではない。世界の把握の仕方がそもそも違うのである。

たしかに、古典力学で十分対象の振る舞いを説明できることもある。だが一般的な状況では、古典論の言葉はあまりに見当違いで、混乱しかもたらさない。量子論の「xxのパラドックス」の類は、この状況を見事に表現している。つまり古典力学は物質世界の基本的な法則を、言葉に乗せることすらできない。量子力学相対性理論は、比喩でもなんもなく、天動説から地動説への転換と同じくらいの世界観の根本的な変更を迫っている。

それでも古典力学は正しい

しかしそれにも関わらず、様々な意味で「古典力学は真実」でもある。実際に物理的な対象を調べる場合、古典力学的な、あるいは半古典論的な考察から得られた知見は、非常に大きな役割を果たす。

量子コンピューターや量子情報、量子基礎論といった分野では、量子論が古典論との対立が際立つ状況を扱うのだが、それでも古典的に扱って差し支えない要素はわざわざ量子論は使わない。

また、歴史的な話をすると、以前から積み上げられた知見が量子力学の登場で、突然無意味になったたりはしていないと思う。大抵は必要な修正の上、新たな枠組みの中で生かされているのではないか。

天動説は間違っていたのか

ここで、天動説に話を移す。プトレマイオス理論は勿論、間違っている。現実には地球は世界の中心ではなく、天体の運動は等速円運動ではない。天体を乗せて運ぶ天球も存在しない。

だがこの理論を間違いと断定した後、ほのかに気まずさが残る。理由は二つ。

第一に、この理論がかなり要領良く、簡潔に天体の運動の特徴を表現していること。

第二に、この理論の下で積み上げられた知見が、地動説への転換で突然無意味になってはいないこと。

プトレマイオスの惑星の理論

以下では、プトレマイオス体系の中でもとくに、惑星の理論を考える。(この部分は、太陽中心説への転換で、非常に根本的な変更を迫られた。)

プトレマイオスはまず、惑星の運動に太陽の位置と連動する成分があることに注意する。そこで、惑星の運動を二つの円の運動に分解して、片方の円の回転周期を太陽の周期と一致させた。

これは、太陽中心説的に見れば、地球と惑星の公転に一つづつ円運動を割り振っていることに、ほぼ相当する。したがって、二つの円の大きさの比率は、地球と惑星の公転半径の比率に近い。歴史的にも、コペルニクスの惑星の公転半径はこうやってプトレマイオス的な『アルフォンソ表』から求められた。(のちの『天球の回転について』では新たに求め直す。)

つまり、天動説の時代に観測から決めたモデルのパラメータは、意味を転換されて、新たな体系で生き残ったのである。それは完全な偶然でもなく、プトレマイオスの理論も、太陽の運動と惑星の運動の関係に着目して理論を作っているからだ。

なお、このシンプルな惑星の理論は、中世を通じてほとんど変わらない。時折一般向けの解説で見られる、「現象を説明するために周天円を重ねて複雑化した」という事態は起こっていない。

さて、惑星の公転はケプラーの法則に従い、等速円運動からずれる。このずれは、円の中心を地球からずらし、また、回転の中心をエカントという第三の点に持ってくることで対処した。コペルニクスはこの手法を嫌い、大層な苦労の末に取り去ってしまった。

一方、「形而上学的な偏見をあまり持たない(ノイゲバウアー)」ケプラーはエカントを復活して、『新天文学』でも火星をのぞいては、これを用いた。

ケプラーの楕円運動との関係

ケプラーのエカントの理論と、彼の楕円の理論との対応は非常に明瞭である。二つの楕円の焦点のうち片方が地球、もう片方がエカント、楕円の中心が円の中心に相当する。定量的にも、エカントの理論は楕円運動の理論の良い近似になっており、離心率の一次のオーダーまで一致する。

つまり、両者の間にはよく強調される不連続性のほかに、連続性もあったのである。楕円運動の支持者の中にも、

 「楕円の理論=エカントと地球の中間が円の中心になるという仮定」

と受け取ったものもいるくらいだ。

なお、計算の簡単さという点でいうと、用いる数学はエカントの方がぐっと初等的である。ケプラーの法則で惑星の運動を計算することの難しさは、例えば、Wikipediaなどで中心差の式を見ればわかるだろう。ニュートン以前、エカント理論を用いる理論家が中々消え去らなかった理由の一端は、ここにもあると思う。

Equation of the center - Wikipedia

世界観の転換を跨いだ連続性

惑星の軌道の理論は、地動説への転換で最も深刻な変更を受けた。それでも上述のような連続性があった。太陽や月の理論については言わずもがなである。

私が感銘を受けた天動説の成果の一つに、太陽の遠地点の移動の発見がある。これは、世代を超えた長期にわたる精度の高いデータの蓄積に加えて、慎重なデータ及び計算方法の検討を伴っていた。その結果、ビールーニープトレマイオスの遠地点の推計方法は誤りの大きいことを認識し、中世に行われた観測値を主な根拠に、遠地点の移動を結論する。データ処理の歴史を考える上でも、この業績は非常に重要である。

思うに、一般向けの天文学史を語る時に、宇宙論にばかり力点が置かれすぎる。これは一般向け医学史でしばしば、病気についての知識や専門分化について触れられずに、解剖学や生理学の変遷しか語らないのと同じくらいに問題がある。あるいは、化学史と言いながらも合成の技法や知識について語らず、物質理論ばかり説明するのと同じくらいに不適切だと思う。