月食と月の理論~幾何学的な理論の勝利

なぜ月の理論を語るのか

プトレマイオスの理論について、本ブログでもたびたび取り上げてきましたけど、主に惑星の理論のことを取り上げることが多かったです。しかし、ギリシャ天文学幾何学的な方法のメリットがわかりやすいのはむしろ、月や日月食の理論だと思います。

月食メソポタミアに於いても、周期を利用した予測が実用化されていました。彼らはそれに飽きたらず、月と太陽の軌跡に基づく方法を次々と試みていきます。残念ながら、この一連の試みは失敗に終わってしましたが、惑星の理論などより遥かに高度です*1。『アルマゲスト』も、まず太陽と月を扱います。彼の優れた日食の理論は、本書の最初のクライマックスであり、メソポタミア以来の経緯を念頭に置くと、一層感動的です。分量的にも、ほぼ惑星理論に匹敵します。

また、中世アラビアでプトレマイオス天文学が推し進められたときも、まず手をつけたのは太陽と月の理論であり、惑星の観測は後回しにされました。イエズス会が中国でヨーロッパ天文学の優位を示した時も、日食の予測で中国の伝統天文学と勝負したのです。

月食の重要性

もうちょっと前のことになりますが、皆既月食があってりました。普段は関心のない人でも、あの日ばかりは月のことを話題にしたと思います。

古代から中世の天文学で、月食は非常に重視された現象でした。なぜか?それは、月の方向を正確に計測する、貴重な機会だったからです。

月なんかいつでも見えるじゃないかと思うかもそれません。しかし、月はとても地球に近く、緯度や経度によって、見える場所がかなり大きくずれてしまうのです。地球の中心と表面とでは、月の大きさ二つ分くらい、ずれてしまいます。これを、地心視差といいます。ところが、月食は月が地球の影になる現象ですから、地球上のどこでも同時に起こります。地心視差は関係しないのです。

そうして、皆既月食のちょうど真ん中の時点に於いて、月の位置は、地球の中心に対して太陽と正反対のはず。皆既月食でなくとも、やはり真ん中の時点では、黄経でほとんど180度反対のところに太陽と月が向かい合います。よって、この瞬間においては、太陽の位置から月の方向がわかります。ただし、ここで「月の方向」とは地球の中心から見た月の方向です。

こうやって月の位置がいくつかの時点でわかると、それをもとに月の軌道のパラメータがきまり、理論計算ができます。しつこいですけど、これで計算できるのは、地球の中心から見た月の方向です。これを実際に地表から観測する方向と比べると、地心視差の大きさがわかります。そして地心視差からは、地球の半径と月までの距離の比率がわかります。

なお、上で「太陽の位置から月の位置がわかる」と書きましたが、夜は太陽は見えませんから、これはもちろん理論計算をするのです。それで『アルマゲスト』は最初に太陽の理論を仕上げてから月の話に入ります。これは彼の提案する、観測プログラムの順番でもあるわけです。惑星の理論にも太陽は関係しますから、中世では天文台ができるとまず、太陽の観測をしました。

データのでどころ

月の運動を決めるには、多くの月食が必要です。まず周期を決めるのにもいくつか必要であり、それらは十分に時間間隔が開いていないと精度がでません。そして運行速度の変化の理論を作るためにも、最低三つの月食が必要です。『アルマゲスト』では合計15の月食を用いていますが、ここに掲げられていないデータも多数、見ていると思います。最終的に使わなかったデータは、古代でも中世でもあまり表にださないからです*2

それをプトレマイオス個人がすべて準備できたはずはなく、先人のデータを多く活用しています。そして、『アルマゲスト』で用いられた15の月食のうち、10は古代メソポタミアの観測データなのです。特に、平均運動からのずれを定めるのに用いた三つは精度が必要ですが、それはMardukempad 王(Marduk-apla-iddina II, 紀元前722-710)の時のものです。

彼がメソポタミアのデータを紹介する時の淡々とした扱い、メソポタミアの理論家の計算を紹介する時の「古代の数学者」という言及の仕方は、両者の断絶を感じさせません。実際は、メソポタミア天文学の移入にはさまざまな経緯があったに相違ないのですが。『アルマゲスト』の月の理論は、メソポタミア以来の伝統を背景に成立しているのです*3

一方、惑星の研究に於いては、「古い観測には、質のよいデータはあまりなく、優れた先行研究もない」という趣旨のことを述べており、メソポタミアのデータの比率はぐっと下がります。

精度はどんなものだったか

では、古代メソポタミアからのデータをふんだんに利用した、プトレマイオスの理論の精度はどんなものだったでしょうか。例えば、月の地心視差(平均的な距離の時)は、プトレマイオスの見積りでは1度7分。これから推測される月までの距離は、地球の半径の59倍 *4。現代の値は57分および60.4倍。

ちょっとずれてますが、ことの困難さを考えると、かなり良い線をいっていると思います。プトレマイオスの理論は紀元2世紀、メソポタミアのデータは紀元前700年以前ですから。

月食の観測からは、太陽までの距離も見積もることができます。プトレマイオスはこれを月までの距離の20倍としました。これは、かなりの過小評価です。伝統的なアリスタルコス由来の値とほぼ一致していますから、きっとそちらに引きずられたのでしょう。月までの距離の方はアリスタルコスの値(地球の半径の20倍)よりも大幅に改善していますが、やや過小評価気味なのは、やはり伝統的な値に引きずられたのだと思います。

誤差が大きいとはいえ、太陽までの距離が非常に遠いことは示された訳で、これは古代や中世においはかなり深い印象を与えたようです。ああ宇宙はかくも大きく、地球はこんなにも小さいのかと。

地球球体説

さて、月食のデータの話に戻りますと、プトレマイオスメソポタミアのデータをアレクサンドリアの経度に時差を補正し用いています。ただ、時差の確定がそんなにすぐ出来たはずはなく、アレクサンドロス大王の東征後、天文学者たちによる努力があったのだと思います。

こうやってメソポタミアのデータを活かせたのも、地球球体説があったからです。また『アルマゲスト』第一巻では、「東西で同じ現象が、時間差をもってみえる」ことを、大地が東西方向に丸みを帯びていることの証拠としています。

一方、南北方向の丸みの証拠としては、星の高度や見える星の違いが挙げられています。こちらは紀元前4世紀のアリストテレス『天について』でも既に述べられています。勝手な想像ですが、エジプトを訪れたギリシャ人が、現地の知識人と交流する中で気がついたのではないでしょうか*5。なお、現代も用いられる時間の単位は、エジプト流とメソポタミア流の混合です。

幾何の積極的な活用

地球球体説もそうなのですが、月の地心視差の理論やそれを用いた日食の理論は、ギリシャ幾何学的なアプローチの典型的な成功例と言ってよいのではないかと思います。確かに、周天円による惑星の理論もなかなか秀逸なのですが、現象を説明する能力に直接幾何学が響くのは、むしろこちらではないかと思います*6

視差の問題を考えないならば、説明能力の上では*7、天球に射影した軌跡だけが正確に計算できれば良いです。よってここだけに着目すると、「他の地域は三角関数を用いないが、ギリシャは用いる」といった程度のことになってしまいます。しかし、地心視差は月と地球の幾何学的な関係の問題です(日食の場合は太陽も含む)。立体幾何学を援用するのが効果的で、むしろ他のアプローチは思いつかないくらいです。

何を当たり前のことを、と思われるかもしれません。しかし、歴史を紐解くとこのアプローチは決して必然でもなんでもないことが分かります。実は中国では、盛唐の密教僧・一行以来、幾何的な考察を抜きに、地心視差に相当する補正を組み込んでいました。緯度経度への依存性なども「多項式」で表現します*8。これを知った時は、自分の視野の狭さを思い知らされた気がしました。地心視差の効果はかなり顕著ですから、理論が精密化すれば幾何学的な視点が無くとも、計算式に組み込まれうるわけです。

しかし、仕組みを理解しないデータ駆動的なやり方では、様々な限界があります。精度も劣るでしょうし、改善も幾何学抜きでは方針が立てずらいと思います。

理論依存性の強いデータの解釈

上述したように、地心視差へのアプローチでは、三次元幾何的なアプローチが有効でした。しかし、奥行き方向の配置や形状は、多少なりとも間接的な推論に頼らないとわかりません。

そもそも、「月食は地球の影である」という説明も、そんなに当たり前ではないです。中国では、大地の影だとする説もあったのですが、大地とは別の「闇虚」または「暗虚」というものの影だとする説が有力でした。南宋の思想家の朱子も暗虚説でしたし、元の時代の民間の天文学者、趙友欽も「地形が影に反映されていない」ことから地影の説に反対しました*9。これは、アリストテレス月食の影を地球球体説の根拠にしたことと、好対照です。「大胆な仮説が正しかった場合、大きなメリットを受けれる」という、よく聞く話の一例になっています。(もちろん、事後の検証が前提ですが。)

では、仮説が間違っていたらどうでしょう。ひどく間違っていたらダメだと思いますが、少々の間違いの場合はやはりご利益があると思います。今回取り上げた件では、プトレマイオスは理論計算を多用してデータの解釈を進めています。理論的な太陽を用いて月の位置を求め、月の理論を作り、月の理論値と観測値を比べて地心視差を求める。これらの理論では、天体の軌道は円運動の組み合わせだ仮定しています。もちろん、この仮定は厳密には正しくありません。しかしこの少々間違った仮定が、多くの正しい認識を引き出す上で、大きな役割を果たしているのです。

*1:従来、メソポタミア天文学は予測のための計算のみで、仕組みの理解に関心がなかったとされてきました。近年、この月の理論の分析などから、メソポタミア天文学についてのこの描像も(立場によって程度は様々ですが)修正されつつあります。

*2:これは、「理論に合わないデータを捨てた」というだけではないです。古代や中世には平均二乗法がありませんから、データにピッタリとあう曲線を選びます。例えば円ならば3つの点をピッタリと通るように決めます。この時、得られたデータのうちどの3点を選ぶかで円はかなり異なってくるでしょう。全体の傾向を反映するよう、データの中から3点を選ぶわけですが、用いなかったデータは必ずしも記されないのです。

*3:アリストテレスが参考にしたユードクソスの理論や、スミュルナのテオン(プトレマイオスと同じ時代)は、太陽は黄道を通るのではなく、その近辺をふらつきながら運動します。一方、メソポタミアの月の理論では、太陽は黄道を通り、プトレマイオスも同様です。影響関係までは言い切れませんが。

*4:ただし、満月と新月の場合の平均値。

*5:天文学ではないですが、現地の知識人との交流で、歴史についての知見を得た逸話が、ヘロドトス『歴史』にあります。

*6:以下に書くことは、中山茂氏などが散々書いていることです。

*7:もちろん宇宙論としては全然違います

*8:これは計算手続きを現代的に書けば多項式であるという意味で、もちろん代数記法があったわけではありません。

*9:https://doi.org/10.14989/134682