ルクスとルーメンと中世の光学

 

こんなツイートがあった:

今は明るさや光量の単位であるルクス(lux)、ルーメン(lumen)は、中世から近代初期にかけて「光」を表すのに使われていた。引用の文章からも察せられると思うが、この頃の光学・視覚論と知性論や宇宙論とは切っても切れない関係にある。この時期、一貫して影響力があったのが、プロティノス(3世紀)を開祖とする新プラトン主義である。古代末期に於いては特に有力で、アリストテレスの思想もキリスト教の思想も、新プラトン主義の影響を受けて後世に伝わっていく。

プラトン主義では、「一者」(ユダヤ教系の宗教の神に少し似ている)という超越的な存在からの「流出」や「照射」などで運動や生成、知的活動を説明する。彼らの認識論においては、光や視覚とのアナロジーが非常に重要な役割を果たす。中世から近代において、多くの思索家が光学について真剣に論じているのは、この新プラトン主義のせいらしい。正直、こういった謎の古い思想は苦手で、上記の説明も余り理解せずに書いている。ただ、現在でも「光を当てる」「見る」といった言葉で考察や認識を表現したりするから、彼らと現代人の考え方も、意外と感覚的には通じるところがあるのかもしれない。

「ルクス」と「ルーメン」という用語の出発点としてよく挙げられるのが、アビセンナ(10世紀、イラン)『魂論』*1の、12世紀におけるラテン語訳である。それ以前からの使用*2も指摘されるのだけれど、一つの区切れということか。この翻訳は質がよくなく、アビセンナの視覚論は必ずしも正しく理解されなかった。むしろ「外送理論」という古代の視覚論を批判した部分が、影響を与えたようだ。

今から見るとバカバカしいかもしれないが、古代の「外送理論」では、「視線」などの目からの放出物で視覚を説明する。光はせいぜい補助的な役割しか果たさない。ユークリッド、ガレノスなどが幾何学や解剖学からの裏付けを与えており、当時は圧倒的に優勢だった。これに対し、アリストテレスは色が空気などの媒質を伝って眼に届くとしたが、無視してよいくらいに劣勢だった*3

アビセンナはアリストテレス派の哲学者で、しかし同時にガレノス派の医師でもあった。彼はガレノスに従って脳や神経を知覚や認識の器官だとし、アリストテレスの生理学説を否定した。一方、視覚論に関してはアリストテレスに立場が近く、外送理論を二章も割いて徹底的に批判した。彼自身の理論は、若いころはアリストテレスそのままだったが*4、『魂論』においては光や媒質の役割を根本的に見直し、ユークリッドやガレノスの説の長所を取り込んだ理論を作った。アビセンナによれば、ルークスは発光体(太陽や炎)の中に備わり、ルーメンは照らされた(不透明な)物体、例えば月や机などに活性化される。視覚の対象たる「色」は遠隔作用的に、網膜上の一点を目指して直進する。さまざまな理論を折衷的に取り込むアビセンナのやり方は、いかにも中世的である。

写真の文章に書かれているのは、ロバート・グロステスト(12-13世紀、イギリス)の理論に近いように見える。容易に見て取れるように、新プラトン的な色彩が濃い。改革的な聖職者として有名である一方、自然学的な問題、特に光や視覚についても重要な論考『光について』『虹について』『色について』を残し、中世ラテン世界の光学の始まりとされる。これらはいずれも非常に短く、本格的な研究とは言い難いが、初歩的ながらも整理された知識を提供し、また色彩論は独創的で、ちょっと現代的ですらある。ただ、彼は「視線」の理論を手放すことはなかった。彼は「光」に形而上の重要な役割を与えて、思索家たちの注意を光学に引きつけた。

ラテン語世界の著作家たちは、上記二者以外に、古代や中世の様々な視線論を理解・誤解し、適当に融合して各々の視覚論を展開した。当然、ルクス(lux)とルーメン(lumen)の用法は、各々で微妙にことなる。この辺りについては、私は「いろいろあって大変だ」くらいの雑な認識しかない。だが、ルーメンは媒質にあるものとされることが多いように見える。

ラテン中世の学者のソースのうち、現代の視覚論・光学に繋がるのは、アルハゼン(イブン・ハイサム)だろう。大雑把に言えば、彼は光が眼に入ってきて視覚が生ずるという、今では当たり前の議論を展開した。彼の議論の優れたところは、高度な幾何学をフルに援用した*5こと、そして実験に訴える議論を多用したことである。光は「視線」や「色」と異なって煙などで経路を浮き立たせて観察でき、疑問点は(自然学的な理屈をこねくり回すことなく)実験に訴えて解決した。

このアルハゼンの光学の翻訳にも、ルクス(lux)とルーメン(lumen)は使われた。しかし、この翻訳の中では両者はあまり区別されなかったそうだ。これは少し不思議だ。彼もアビセンナと同じく発光体からの光と、それに照らされた物体から出る光を区別しているからだ*6。どうやら、両者は第一種、第二種などと限定詞をつけて区別したらしい。アルハゼンは、どちらの光も全く同様に振る舞うことを、一々実験でチェックしている。さらに発光体の種類によって差が出ないことも、確かめている*7。アルハゼンに於いては、二種類の光の違いよりも、幾何的な振る舞いの共通性がこれでもかと強調されている。

各種テキストのうち、特にアルハゼンに重きを置いた人々を「遠近法論者」などと言う。ロジャー・ベーコン、Peckham, ウィテロ、フライベルクのディートリッヒなどが挙げられる。遠近法論者であるかどうかの線引きは絶対的ではなく、例えばロジャー・ベーコングロステストを含め、様々なソースを折衷的に用いる。また、アルベルトゥス・マグヌストマス・アキナス、ニコール・オレムなどのスコラ学者たちも、アルハゼンを取り込んでいる。

遠近法論者たちは、概ねルクス(lux)のみを用いるらしい。ウィテロとアルハゼンの光学書は、Ibn Mu'adh al-Jayyaniの大気層の厚さについての論考とともに、1572年のRisner『光学宝典』に収められて流布する。ケプラーデカルトは、これら光学の古典を全く新たな視点から読み込んで、近代的な光学の出発点となった。

その後、このルクスとルーメンがどうやって現代の意味にまで至ったのかは、そのうち調べてみたい。

 

主な参考文献

 

 

*1:これは『治癒の書』とよばれる非常に大きな著作の一部なのだが、内容のまとまりや分量を思うと、『治癒』という叢書の中の一冊という方がしっくりくる。

*2:すぐに述べるグロステストなど

*3:ユークリッドプトレマイオスらの幾何学的な理論は、現代の幾何光学の先祖で、中々精巧だった。ガレノスの解剖学や生理学も、脳や神経の役割を正しく評価し、左右の視神経の交差や、網膜、ガラス体、水晶体、角膜などを記述している。一方、アリストテレス説は「色」を光と読み替えれば現代の説に、一見類似しているように思える。実際、近代光学を準備したアルハゼンは、アリストテレスの影響を大きく受けている。しかしながら古代に於いては、具体的な現象の説明となると、彼や彼の後継者たちも外送理論の助けを借りざるを得ないほど、練られていない代物だった。

*4:例えば、ビールーニーとの往復書簡など。

*5:アルハゼンは数学史上の重要人物でもある

*6:両者が類似しているのは、彼らの理論が共に、古代後期から末期の注釈書に影響されているからだろう。

*7:正確には「確かめたと主張している」。例えば、太陽の光の水による屈折の実験を考えると、入射角は太陽の高度よりも急な角度にはできないはずだ。