これは、ちょっと前の連ついをまとめたものです。
表題のことに関して「そんなこと知ったことか!」的な勢いの良いツイートが流れてきた。どうやら、谷村先生のこれに反応したらしい。
エルミートだが自己共役ではない演算子に対しては、i, ii, iii のいずれかが成立しません。https://t.co/MUdf2Fb6Xv
— TANIMURA Shogo (@tani6s) 2021年11月11日
エルミート(対称)と自己共役
エルミート(対称)演算子の定義は、殆どエルミート行列と同じだ。ただし、定義域に少し注意が必要で、の共役の定義域がの定義域よりも小さくてはいけない。両者の定義域が等しい時、自己共役であると言う。もちろん、有限次元では両者は同じだ。両者の違いはどういった差をもたらすだろうか。
ハミルトニアンが自己共役でなかったら
時間発展がユニタリ強連続一径数群になるには、が自己共役であることが、必要かつ十分である(Stoneの定理)。よって、ハミルトニアンはすべからく自己共役でないといけない。
なお、水素原子のハミルトニアンの自己共役性が証明されたのは、意外なほど後のことになるようだ。
固有値とスペクトル
ところで、上記の問答を見ていると、谷村先生が教育的な配慮から「スペクトル」という用語を避けて「固有値」という言葉を用いていて、それゆえに文字通り取ると誤りになっているところがある。固有値はスペクトルだけれど、逆はそうではない。
固有値はエルミートならやっぱり実数で、異なった固有値に対応する固有ベクトルは直交する。証明はエルミート行列の時と同じだ。スペクトルの場合は、対応する固有ベクトルがないので、ああいった論法は使えない。
物理量が自己共役でなかったら
では、エルミート演算子が物理量だったらどうだろう。通常のスペクトル分解定理は、自己共役演算子において証明されている。エルミート演算子だったら、観測が構成できなくなったりするのだろうか?前置きが長くなったが、これが本記事の主題である。
実のところをいうと、そんな困ったことにはならない。さらに、後で述べるが、物理量を演算子に対応させるのが、観測の理論からすれば、数学的な便宜にすぎないのだ。
井戸型ポテンシャルの中の粒子の運動量は簡単
まず、無限に深い一次元井戸型ポテンシャルの系の運動量を考える。この例はReed and Simonに出てくるからか、よく取り上げられる。しかし、実は定義域を丁寧に選べば問題が解消してしまう。
今、ヒルベルト空間として、閉区間[0,1]上の波動関数たち(の定数倍)の集合、つまり)]をとる。運動量演算子は、微分に虚数単位をかけたものだから、定義域に属する波動関数は、必然的に微分可能でないといけない。
さらに、今、壁には粒子がいないとすると、「両端で0」という境界条件は自然そうである。だが、こう設定すると、運動量演算子は自己共役でなくなり、スペクトル定理は使えない。
そこで、演算子の定義域を少し大きめにとる。定義域の中には物理的でない波動関数も入るだろうが、実際に作用させなければよいだけだ。具体的にいうと、境界条件を少し緩め、「両端の値が等しい」とする。この定義域の上で運動量演算子を定義すると、あっさりと自己共役になってしまう。
ただ、この定義域の緩め方は一通りではない(両端での値に位相差を許すのはok)。これは少し気持ち悪いかもしれない。だが、その結果構成される観測は、どれも観測値のk次のモーメントは等しくなる。
片方だけに壁がある時はつらい
実は、無限に高い壁が片方だけ、つまり粒子がx>0の領域に拘束されている場合が、井戸型ポテンシャルよりずっと難しい。この場合は、定義域をいじって自己共役にすることはできない。つまり、エルミート演算子を正面から扱わないといけない。
しかし、下の文献に、次の強力な定理が載っている。
Probabilistic and Statistical Aspects of Quantum Theory | SpringerLink
もし、がエルミートでその定義域がヒルベルト空間の中で稠密だとしようすると、
ここで、やや細かい話だが、積分する前にを両側からベクトルで挟んでいることは、数学としては重要である。この状況をシンボリックに
と書く。
また、一般にresolution of identity はPOVMとよばれ、正定値自己共役であればよく、射影である必要はない。このように拡張すると、有限次元ですら、分解の取り方は一意でなくなる。
そして、また分解の仕方は無限通りある。これは、数学的な厳密さなどを通り越して大事な点で、有限次元でも重要な話である。ここで、射影でない分解を与えられて、物理としてはどうなんだ?という疑問が湧く。
Naimark拡張
だが、射影に拘る必要はないのである。任意のPOVMは、系を広げると射影で表現できるのである(Naimark拡張定理)。よって、「射影は測定!」と思う人は、すべからく「POVMも測定!」と思わないといけない。
ここで、「系を広げる」とはヒルベルト空間をより大きなヒルベルト空間の部分空間だと思うことである。
冒頭の例に戻って、を、の範囲に束縛された粒子の波動関数(の複素数倍)の成す空間だとする。これは、束縛が全くない波動関数の空間の部分空間である。この大きな空間では、問題なく運動量は自己共役である。つまり、壁を取り外して直後に運動量を測れば良い。
今の場合は大きなヒルベルト空間の一部分に、むりやり制限してヒルベルト空間を作っていた。一般の空間は、そんな構造はしてはいない。また上の例でも、無限に高いポテンシャル障壁を取り除けるのか?という疑問もあるかもしれない。そういった場合に拡大したヒルベルト空間を構成するには、もう一つ別の系との合成系を考えると良い。
例えば、半直線に制限された粒子の場合、2順位系との合成系を考える。そして、つけくわけた粒子の状態が|1>の時には、粒子の運動量を反転させる。これで、実効的に壁の向こう側をシミュレートできる。
量子情報では、射影に加えてPOVM を観測に付け加える場合がほとんどだ。その理由は、上記のNaimark拡張にある。観測は観測機器との相互作用を必然的に含む。よって、別の系を付け加えるのは、観測過程を考える上では、むしろ自然だと思っていい。
POVMの具体例
上に挙げた例は、ちょっと人為的なきらいがある。そこで、以下で射影でないPOVMの例をもう少しあげる。
まず、ノイズを含んだ測定だ。仮に理想的には射影測定を目指しても、実際の実装ではノイズがはいる。ノイズも込みで書くなら、ほとんどの測定はPOVMで、射影にはならない。
またノイズの表現の他に、次のような例がある。今、光の生成消滅演算子を考えよう。XとPは可換ではないから、Xの射影をやってしまうとPの情報が消えてしまい、逆も同様である。だが、光をビームスプリッターでわけて、各々でXとPをはかる(ホモダイン検波)と両方の情報が得られる(もちろん、情報の量は妥協している)。この観測過程は、次のような分解に相当する。
ここで、はコヒーレント状態である。積分されている演算子の一つ一つは射影だが、互いに直交しておらず、これは射影測定の範疇には入らない(もちろん、スペクトル分解にはなっていない)。同じ光源から何度も同じ光(密度行列を)を発生させて、この観測を何度も繰り返してヒストグラムを書くと、確率分布
を求めることができる。これはHushimi Q-representationとよばれる。
Husimi Q representation - Wikipedia
そもそ物理量を演算子で表して良いのか
今までの話は、物理量には演算子が対応しているとして、それの分解として観測を考えた。しかし、この議論は順序が違うのではないかと思う。
観測とは本来、観測機器との相互作用からなる、物理的なプロセスである。このプロセスのシュレーディンガー方程式を計算して、分布を定めるPOVMを得るのである。いわゆる「物理量に対応する演算子」は、これに値をかけてたしあわせたものである。つまり、本来は「POVMが先、演算子があと」のはずなのだ。
その意味では、実は、上記で延々とした話は、出発点がおかしかった。天下り的に運動量演算子は「運動量」としての意味があると思い定めてしまっていた。通常の量子力学の教程だと、演算子の意味づけは、謎の古典量子対応で騙くらかして先に進んでしまう。だが、古典力学と量子力学は全く別の理論なのだから、このような対応を鵜呑みにしてよいものだろうか?
本来、ここは「運動量の観測とは、そもそもどのような性質を持つべきなのだろうか?」というところから考えねばならなかったはずだ。このあたりが、上に挙げたHolevoの本に詳しく論じられている、共変的測定の理論の背景にある問題意識だ。こういった話は決して単なる揚げ足取りでもなくて、「光子の位置の測定」で、射影子になるものは存在しないことが知られている。「光子検出器が反応した場所に光子は存在するのだろうから、位置の射影測定は作れるのでは」とナイーブな質問を光学の先生に聞いたところ、「どんな光子検出機も、空間分解能はそこまで良くない」とのことであった。
それから、演算子一つに「物理量」を代表させるのは、もっと実用的なところで問題が生じる。有限次元でも、通常はPOVMへの分解は無限通りある。よって、演算子を一つ決めても、分布は全然決まらない。ただ期待値だけが決まる。
この点を見過ごすと、例えば相関などの二次のモーメントを計算する時に、すでにどうしたら良いかわからなくなってしまう。少し前だと、相関の計算は、物理屋さんでも適当にかけ合わせて期待値を取ったり、はてはカノニカル相関を計算したりしていた。観測のプロセスを考えて、何か近似をしてそれらを得るのではなく、もう、単純に自分が計算できる「相関っぽい量」を計算しただけなのである。
疑問に思って質問したこともあるのだけれど、「観測のバックアクションを無視しました」としれっとしている。だが、カノニカル相関の場合、二つの物理量が可換でも観測値の相関に等しくなるとは限らないので、バックアクションを無視しても、このような計算は的外れである。わかる人は昔からわかっているだけに、論文などにして指摘するのも中々ハードルが高かったが、近年清水先生が論文化されて、あれは本当によかったと思っている。