光は丸くなる? 光の直進性と影

光の直進性は当たり前か

近代光学の成立に大きく貢献したイブン・アル・ハイサム『光学』では、光の基本的な性質は全て実験や観察で確認をとっている(ことになっている)のだが、直進性についてもいく通りもの実験や観察をあげている。9世紀の「アラブの哲学者」キンディーもロウソクの光を穴を通して投影したり、遮蔽物の影の観察から直進性の「証明」としている。

この分かりやすくて当たり前の性質に、なぜここまでする必要があるのか?

正直、勉強が足りないので直接的な考察はできないのだけれども、乏しい光学史の知識をかき集めると、光の直進性は必ずしも自明ではないのだ、という点はなんとなく理解できる。

光と陰

アリストテレスの名を冠した『問題集』という古代の小論集がある。様々な話題についての問題提起や短い考察を多数集めたもので、数世紀にわたって書き継がれた。

この中のBook XV, 6 (911b3)では、あみかごの四角い隙間から漏れる光の像が丸みを帯びていることを報告し、光又は視線の直進性との関係を問う。そして、鋭い角には視線が届かないからという説明をしている。この観察は、中世でも広い関心をよんだ。13世紀のロジャー・ベーコンは、四角い窓から入った光の像の観察から、「光は丸くなる傾向がある」とした。ペッカム(John Peckham)は四角い穴の後ろに立てたスクリーンを離すにつれて像が丸みを増すことに注意し、光の直進性がこの現象と整合性するのか?と疑問を提している。

https://www.jstor.org/stable/41133285

現代の話になるが、ある時、イラストの描きのコツを発信しているアカウントからのツイートが流れてきた。影と光の描き方をまとめたもので、「光は丸みを帯びる」という説を写真と図付きで解説してあった。

確かに、直線的な光線から柔らかい陰影が形作られるという事実は、直感的には納得しがたいのかもしれない。

カメラ・オブスクラ

上で述べた伝アリストテレス『問題集』には、木漏れ日がカメラ・オブスクラとして機能して、日食の像が地面に写されることも載せられている。特に、穴の形が像に影響しないことを鋭く指摘している(Book XV, 11 (912b28))。いうまでもないが、この問いと上述の編みかごの話は基本的にどちらも同じ問題で、穴の大きさとスクリーンまでの距離の比率が違うだけだ。

このカメラ・オブスクラも、日食の観測への応用ということもあって、ベーコンらの注意を引いた。しかし、彼らの光と陰の理解は上述のごとく混乱していて、筋の通った分析を示せなかった。

14世紀に入ると、Egidius de Baisiu という無名の光学家と、高明なユダヤ人学者のゲルソニデスが不完全ながらも一定のまとまった分析を残す。ただし、これらが広く知られれることは無かったとされる。その後は一旦、光学の理論は停滞してむしろ機器制作が盛んになる。結局、満足な理論はケプラーの登場を待つことになる。

なお、ケプラーは、ヘブライ語で書かれたゲルソニデスの仕事にアクセスできなかったとされる。アヴィニョン法王庁に出入りし、観測機器「ヤコブの杖」の発明で全欧州で知られていた高名な人物でもそんなものなのだろうか。意外とアイデアの伝搬の壁はあちこちにあるものだ。

アラビア語圏での展開

上記の欧州での展開においては、アラビア語圏での研究の貢献が小さくない。イブン・アル・ハイサム『光学』第一巻には、穴が十分小さい時のカメラ・オブスクラについての詳しい記述がある。また、同書で展開される「点状解析」が、ケプラーの理論の主要な道具である。

この「点状解析」とは、光源の各点から発する光線(狭いが有限の幅があると思われていた)を一本一本追跡する分析で、明るさは照射する光線の密度に比例すると仮定する。

点状解析の起源は、キンディーの『視学』だとされる。同書のカメラ・オブスクラの記述では、スクリーンを一次元の線にしてしまっているが、像の倒立が見事に説明されている。また別の箇所では、「視線」を一本一本追跡し、本数と視覚の明瞭さを比例させている。つまり、イブン・アル・ハイサムの点状解析の構成要素は、全てキンディー『視学』に見つけることが出来る。

ただし、キンディーは半影や像のぼやけを全く記述していない。理論整然としたキンディーの議論は、ベーコンらが悩んだ現象を捨象してしまっている。

では、半影を含んだ議論はアラビア語圏では現れなかったのか。実は、欧州には伝わらなかったが、イブン・アル・ハイサムは『影について』『食の形について』という論考でこれらの問題を(ほぼケプラーの水準で)見事に分析して見せていた。なにせ、彼は無限小解析や円錐曲線論でも著しい業績のある、大数学者でもあるのだ。数理科学者としての腕力は、キンディーやベーコンとは格が違う。

なお、『食の形』を日食の観測の記録とする紹介を複数見かけたが、この書は理論が主な内容である。むしろ、観測をどの程度真面目にやったかは怪しいと私は思っている。なぜなら、日光がほぼ水平に入ってくる設定で分析をしているからだ。一応該当する日食はあるらしいしが、そのような稀な現象を捉えたという確率は、やはり低いのではないか。入射の方向が斜めでも、理論の本質的な部分は変わらないから、通常の日食の観測で代用した可能性が大きいと思う。

全く観測しなかった可能性もないわけではないが、穴の大きさや部屋の暗さなど、実際的な注意が書かれているので、何らかの観測はしていると思う。

ラテン中世の事情

それにしても、なぜ中世の欧州ではこれだけ迷走したのか。

一つには、ベーコンもペッカムも数学的な学問の専門家ではない、という事情がある。平均的な天文学者よりも、どう見ても数学は駄目だっただろう。

もう一つあげるとするならば、13世紀ラテン世界の光学家の、極度なまでに折衷に走る傾向だ。彼らの主な拠り所はイブン・アル・ハイサム『光学』だったが、その他様々な古代や中世の理論を複雑に組み合わせていた。この問題においても、『問題集』の議論が影響を与えている。

彼らの手元には、アリストテレスプラトンユークリッド、キンディー、イブン・シーナーの著作のみならず、それらの注釈や再編版などがあった。これら雑多で質もまちまちな典拠を比較し再評価する作業は、決して簡単ではなかったのだろう。

 

参考文献

D. Raynaud, A Critical Edition of Ibn al-Haytham’s On the Shape of the Eclipse: The First Experimental Study of the Camera Obscura, Springer 2016.