古代原子論者の視覚論

現代の科学に「近い」理論

我々科学者が昔の科学を語るとき、ついつい現代と表面上似た理論に入れ込んでしまいがちである。学問的な説として失敗していることは明らかでも、「発想は素晴らしい」などと思ってしまう。古代においても、地球中心説よりは太陽中心説四元素説よりも原子論の方がなぜか魅力的に映る。

古代の原子論は、レウキッポスが始祖とされ、デモクリトスが大成した。デモクリトスは自然学のさまざまな主題について多数の著作を成していいるので、自然現象の説明に相当力を入れたのだと思う。アリストテレスは彼の説を批判したが、慧眼を称えてもいる。

少し時代が降ると、アリストテレスの学派は非常に弱くなってしまい、ストア派エピクロス派の時代になる。前者の自然学は、プラトンと共通点が多い。アリストテレスプラトンは共通点も多く、故にこの3者の自然学はなにかと似ている。例えば、彼らはすべて四元素説を採用した。

視覚論について言うならば、ストア派は眼から放出されるプネウマの作用で視覚を説明していた。このように、眼からの能動的な働きかけを想定する視覚論を流出説(外送説)という。プラトンピタゴラス派、そしてユークリッドなどの幾何学的な視覚論もまた、流出説であった。

これらに対して、デモクリトスエピクロスの視覚論は流入説に分類される。流入説では、眼は外部からの流入を受け入れるだけである。現代の視覚論は、光の流入で視覚を説明するので、流入説である。つまり、原子論者は物質理論でも視覚論でも、ストア派その他と対立して現代に近い理論を展開していた。。。。という説明を組み上げることはできる。

だが、原子論者の視覚論と現代の視覚論は、本当に同じ範疇で括ってしまって良いのだろうか?

原子論者のエイドロン説

以下、原子論者エピクロスルクレティウスの視覚論を説明する(デモクリトスの説については、不確定なところがある)。

古代の視覚論の最大の課題は、視覚が空間を隔てて作用する仕組みの解明だった。触覚の場合は手が直接触れるので、対象物を細やかに把握できてもあまり不思議はない。ところが、視覚は時に長大な距離を超えて、しかも詳細に対象を把握する。

エピクロスは、この距離の問題を視覚対象の飛来で解決しようとした。「エイドロン εἴδωλον」すなわち物体の表層から剥がれた原子の薄い膜が飛来するとしたのである。エイドロンいわば物体の模型である。これが向こうから飛来してくれるのであれば、あとは触覚と大差のない機構で感覚の成立を説明できる。

9世紀「アラブの哲学者」キンディーは、原子論者に対して次のように反論した。厚さのない円を、円と同じ平面上に目線を合わせると線分に見え、円であることは知覚できない。ところが、原子論者の議論の仕組みを信じるならば、「円」のエイドロンが眼に取り込まれ、「円」全体の形状を把握できるはずだ。

この反論がフェアかどうかはさておき、エイドロンによる視覚論は、対象を全体として丸ごと把握することを可能にしてしまう。なぜなら、対象のミニチュアたるエイドロンが丸ごと感覚器官に取り込まれてしまうからだ。

Encyclopedia of the History of Arabic Science - Google ブックス

流出説

原子論者がエイドロンの飛来で距離の問題を克服したのに対して、流出説は眼の方から放出物を出すことで対象までの距離を埋める。あちらからやって来るのを待つかわりに、こちらから手を伸ばすのである。だが、それ以外は両者の構造は類似している。実際、ストア派も原子論者も視覚と触覚のアナロジーをしばしば持ち出し、距離による視覚の劣化の説明なども、驚くほどパラレルだ。

一見アルカイックに見える流出説には一つ長所がある。それは、眼からの流出物があくまで対象とは独立な存在であることだ。よって、対象の情報が取り込まれるプロセスは、エイドロン説ほどには自明ではない。ここに、ユークリッドプトレマイオスらのような、分析的な理論が生まれる契機があった。

プトレマイオスは、「視線」という光線状の射線が目から円錐状に放出されるとした。この視線の束が成す円錐を「視円錐」といい、頂点は眼の奥にあって、底面には視覚対象がある。視線は、対象物に到達するとその情報(プトレマイオスによると「色」)を持ち帰り、眼のセンサー(彼はそれを角膜とする)で補足される。このように規定すると、形状の知覚の議論は、視円錐の幾何学に帰着される。ここで視線は対象物の表面を機械的にスキャンするだけ、というのが問題の数学化において非常に重要なポイントである。

原子論の視覚論では、エイドロンとして完成した視覚像が外に有り、あとはそれを如何に取り込むかだけが問題だった。一方、視線の理論では、視線によるスキャンによって像を形作る。前者は「像」を全体として取り込むのに対して、後者は視線が照射する点に分解される。つまり、視線の理論の方が、より分析的な視覚論なのである。

視円錐による幾何学的な分析は、おそらくは測量や絵画などと強い関係があったのだという。ユークリッド『視学』はそれらの応用を意識したと思しき命題が多くあり、ゲミヌスやファーラービーの概説も、これらの応用に言及がある(特に後者は詳しい)。

エイドロンと光と視線

現代の視覚論は、光の流入で視覚を説明する。流入説という点では、エイドロンの理論と同じである。しかし、光はエイドロンとはかなり異質な存在だ。光は対象の内部から湧き出るわけではない。光源から発せられ、対象の表面で跳ね返って眼に届く。対象の外部からやってきて表面をスキャンするという点では、むしろ視線に似ているかもしれない。

実際、のちにイブン・ハイサムが光による視覚の理論を作るにあたって参考にしたのは、ユークリッドプトレマイオスの理論だった。彼の「光」は視線とほぼ逆のコースを通って感知され、「視円錐」の概念も保存される(現代でもこの概念は現役である)。

つまり、現代の視覚論は、基本的には視線論の子孫なのである。同じ流入説であっても、エイドロン説の影響は比較的小さいと言える。イブン・ハイサムへの影響という点では、むしろアリストテレスの感覚論、ガレノスの眼や神経の解剖学の影響の方が大きい。

原子論の「メリット」

だが、それでも原子論者の視覚論は少なからず言及され続けた。これは、アリストテレスの視覚論(「色」に基づく独自の流入説)がほとんど無視されたのとは対照的である。(ただし、上で少し述べたように、彼の感覚論や色の理論は影響力が強かった。)

例えば、2世紀の文人アプレイウスは、鏡の反射の説明で、各種の流出説と原子論者のエイドロン説を併記したが、アリストテレスへの言及はない(アプレイウス『弁明』15)。

Apuleius, Apologia: seminar

原子論者の説明では、鏡にぶつかったエイドロンは、壁に衝突した固い球のように跳ね返されるのだという。これは日常目にする現象からの類推だから、非常にわかりやすい。エイドロンと球は、大きさが異なるだけで、同じく原子の塊とされたから、この類推は自然だと思う。

一方、視線の理論においても、視線の反射は衝突のアナロジーで説明された。しかし、視線は一瞬で遠い星にまで到達するなど、重さを持った固い球とは違うところの方が多い。「視線」の難点の一つは、その性質が身近な何者にも似ていないことにあった。対して、エイドロンは日常手にする「物」の延長として理解できた。

ただし、この「わかりやすさ」は、科学的な実証のやり易さとは別の話である。例えば、エイドロンの軌跡を浮かび上がらせて反射の様を観察することなどはできない。この点、光とエイドロンは決定的に違う。

光学史における役割

このほか、原子論者の観察には、彼らだからこそ気がついた鋭いものもあった。例えば、ルクレティウスは、非常に明るいもの見たときに眼がダメージを感じることを指摘している。視線の理論の立場からは、これは見つけにくいかもしれない。なお、この現象は、イブン・ハイサムも着目して流入説の根拠にしている。

だがそれ以上に重要なポイントが、エイドロン説が「説明に苦しんだこと」の中にある。

例えば、9世紀のフナイン・ブン・イスハークは、「エイドロンが都合よく瞳孔のサイズに縮小して入るのは、都合がよすぎるのではないか」という批判を投げかけている。しかも、多数の人間の瞳孔に同時にこれが起こるのはありえない、というのである。

一方、流出説の場合、視線は眼から放出されるのであるから、ひとたび情報をスキャンしたら、眼に情報を持ち帰る点に全く不都合はなかった。真っ直ぐ眼の奥の一点に収斂する直線にそって情報を持ち帰るのだが、元々その経路をたどって対象の表面にやってきたのである。

それに対して、エイドロンは観察者の外部からやって来るのである。眼の都合に合わせて飛来する経路が定まるのは、どう見ても都合が悪い。 

この点でいうならば、光もエイドロンと同様である。対象の表面で乱反射されたら、あらゆる方向に直進する。観察者の都合にあわせて、眼の奥の一点に集約する必然性は一つもないのである。つまり、眼の中における、像の形成の問題がここに生ずることになる。

この問題は、イブン・アル・ハイサムによって気が付かれ、不十分ながら論じらるものの、ケプラーデカルトの近代光学の成立によって、はじめて解決されるのである。

もちろん、古代の原子論者がこの問題に気が付いていたわけではない。ただ、その理論の難点の先には、光の視覚論の非常に重要な問題が潜んでいた。つまり、エイドロン説はそ失敗によって、視覚論に貢献したのかもしれない。

(近代初期においては、原子論はアリストテレス的な自然学の解体に深く関与する。もちろん、このイベントは視覚論の展開にも深刻な影響があった。だが、この辺りはあまりにも語られることが多いし、また別のストーリーになるので、ここでは触れない。)

「説明できる」のは良いことなのか

エイドロンは対象の内部から湧いてきたがゆえに、対象との関係の説明が楽で、視線論のような分析に至らなかった。一方、視線論は眼から射出されるがゆえに、眼の中での像形成の問題が浮かび上がることがなかった。両方とも楽に説明できた事柄の中に、分析の甘い点を残してしまったのである。学問の進化においては、一通り説明できる理論よりも、むしろ問題点を浮き上がらせる理論が重要なのだろう。