「刻白爾」は、コペルニクスというよりはケプラーかなと思います… https://t.co/HSjMbAPCxt
— QmQ (@gejiqmq) 2025年9月21日
今回は、この(我ながら不見識な)ポストについての言い訳です。
今朝方、清の阮元(18世紀半ばから19世紀前半)の『疇人傳』をまとめたサイトを眺めていました。
http://www.mathsgreat.com/CMhist/chouren/chouren.html
主に中国人の天文学者や数学者の伝記なんですけど、中には外国人も入っています。ぼちぼち眺めていたら、コペルニクスが目に止まりました。コペルニクスは『崇禎暦書』や『西洋新法暦書』では「歌白泥」ですけど、もう一人、「泥谷老」もコペルニクスに相当するか?と記されています。フラムスティードやアリストテレスも二人くらい候補がありました。
朦朧とした頭で「刻白爾」もコペルニクスじゃなかったっけ?と思って該当の項目を見ると、こちらはケプラーとのこと。「あれれ、そうだっけ?」と納得がいかず、漢籍リポジトリを検索してみました。
そしたら、『暦象考成後編』や『新法算書』(『西洋新法暦書』を四庫全書に入れるにあたって少し手直ししたもの)がひっかかり、該当するところを見ると、紛れもなくケプラーの事績が語られていました。
しかし諦めがつかずにググったところ、ほぼトップに、司馬江漢『刻白爾天文図解』を紹介したツイートがひっかかり、それには「刻白爾」はコペルニクスだと書いてあります。「そうそう、きっとこれだ!」と思い、早稲田大学のリポジトリで上記文献を眺めてみました。
文字を読むのが億劫だったので、図だけを眺めると、惑星の軌道が卵型で書かれています。思うに、これは楕円軌道を「卵型」と紹介されていたのを誤解したんじゃないでしょうか。
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ni05/ni05_02550/ni05_02550_0001/ni05_02550_0001_p0014.jpg
卵型の軌道を紹介している以上、司馬江漢『刻白爾天文図解』のもケプラーなんじゃないか?つまり、「コペルニクスかも→ケプラー→コペルニクスかも→やっぱりケプラー」と心が揺れ動いた結果、上記の一連のツイートをしたわけです。ケプラーの事績も含めて、我ながら自慢げにツイートしています。
…しかし、ふと『刻白爾天文図解』に「刻白爾」とは誰かが書いてあるはず、と思い直して最初から読み直したところ…
しかし、冒頭部分を見ると、波邏泥亞國の出身で、300年ちょっと前、つまり1500年ごろとのこと。これはコペルニクスっぽい。 pic.twitter.com/4RPHSHjQMi
— QmQ (@gejiqmq) 2025年9月21日
つまり、「刻白爾」はポーランド人で三百数十年前に地動説を発表した、と。まあ、年代は生まれた年の錯誤だと思うんですけど、これはもう、コペルニクスですね。
しかし、コペルニクスは楕円軌道じゃないし、それに中国から招来された天文学書では「刻白爾」は一貫してケプラーなわけです。どこかで混線したんでしょう。
なお、『西洋新法算書』に「歌白泥」はプトレマイオス(多録某)、ティコ・ブラーエ(第谷)とならんで何度もでてきますが、ガリレオ裁判の影響で、彼の地動説は隠されています。ゆえに、地動説の提唱者として「歌白泥」は認識されず、「刻白爾」にコペルニクスの事績とケプラーの事績が重ねられてしまったのだと思います。
最後に、ツイートでは『崇禎暦書』と書いていたところを、ブログでは『西洋新法暦書』にしています。この書物は『崇禎暦書』を清の初めに再編したものであり、自分が見ているのは『西洋新法暦書』です。両者の関係は同一のものの別版といった関係にあるので、ツイートでは安易に『崇禎暦書』と書いてしまいました。しかし、ケプラーの事績が関係する箇所(太陽の運行の理論)は、『崇禎暦書』の異なった版の間ですら差が大きいのです。ですから、無難に『西洋新法暦書』と書くことにしました。