プトレマイオスへの濡れ衣 ~ 惑星までの距離の変動

以下は、数ヶ月前の連続ツイートをまとめたものです。

以下のような記事をみつけた:

eetimes.itmedia.co.jp

この記事は、コペルニクス直前の状況がテーマである。興味深いテーマに触れながら、しかしまた色々と勘違いの多い記事でもある。とりあえず、その中の一番わかりやすいところを指摘したい。

この記事では、話のたたき台として、レギオモンタヌス(15世紀)のプトレマイオス批判が取り上げられている。プトレマイオスは言わずと知れた2世紀の大天文学者で、古代の集大成ともいえる『アルマゲスト』(あるいは『数学集成』)を著わした。本書は天文学のもっとも基本的な書物となり、中世を通じて観測による検証や修正が繰り返される。また、天球の運動の仕組みや、自然学との整合性に関しては様々な批判があり、いくつかの代案の提示もあった。

レギオモンタヌスは、こういった中世の天文学の西欧における頂点であって、コペルニクスふくめ、続く世代に絶大な影響があった。この記事にもあるように、観測によってパラメータの精度を上げ、数理的な手法に磨きをかけるのみならず、時にプトレマイオス天文学への疑問を提示した。

さて、記事の2ページ目では、レギオモンタヌスのプトレマイオス批判のうち、

  • アルマゲスト』の理論による、惑星と地球の間の距離の変動は、現実に比べて過大だ

という批判を取り上げている。『アルマゲスト』に従うと、火星についてはこの変動が7.21倍、金星については6.7になるという。(ただし、見かけの面積に換算して二乗した数値をあげている。)では、実際の変動はどんなものだろうか。上記記事の著者は、惑星の平均半径から火星で約4.9倍で、金星では約6.3倍、と計算してみせる。

確かに、近代以前は、観測技術の制約から、天体までの距離はあまり正確にわからなかった。その上、天動説では個々の天体の動きを関連させず、別々に取り扱うので、距離に関する手掛かりが理論の中にほとんどない。それに対して地動説では、地球の公転で惑星の逆行を説明する。それゆえ惑星の見かけの運動から、地球の惑星の公転半径の比率が割り出せる。これはコペルニクス説の大きなメリットだとされる。

上記の記事にはさらに、月の問題も取り上げられている。プトレマイオスによれば、月までの距離は半月と満月では二倍も違うことになる。これが事実と異なることは、わざわざ計測するまでもない。

総じて、プトレマイオス理論の天体間の距離の問題に関する不手際は、中世を通じて度々指摘されてきた。コペルニクス『天球の回転』のOsianderによる序文においても、金星までの距離の変動の件が取り上げられいる。だがコペルニクス理論は月を除くと、基本的にはプトレマイオスの理論を太陽中心に書き直したものだ。当然、距離の変動について異なった結果は出てこない。この意味で、『天球の回転』序文は、ちょっと的を外している。

実のところをいうと、(月の場合はさておき)惑星に関しては、プトレマイオスの理論はさほど悪くはないのである。NASAのホームページに、Mars Fact Sheet、Venus Fact Sheetというのがある。ここに地球からの距離の最大と最小が出ていて、その比率は各々7.35倍と6.83倍となる。

Planetary Fact Sheets

レギオモンタヌス曰く、プトレマイオスの推計は、各々7.21倍、6.7倍だった。これはまずますの出来に思える。ただし、永年変化で惑星の軌道要素はかなり変化そているので、このままの比較ではダメなのだが、上記の記事の計算(4.9倍と約6.3倍)よりも格段に良いことは間違いなさそうだ。

古代人の数値に、豊富な情報源にアクセスできる現代人が劣るという、なかなか興味深い事象が起きているのだが、なぜこんな事になっているのか。おそらく、上記の記事の計算は、平均半径に依拠している。ところが火星も地球も楕円軌道なので、平均半径から計算した場合と比べて、あっと驚くような差が出てくる。

では、プトレマイオスの数値がこれほど良い理由はどこにあるのか。それは、彼の理論には現代の理論との間に、大きな共通点があるからだ。この共通性故に、天体の見かけの方位を説明する理論が、たまたま距離変動も正しく出してしまったのだ。

では、プトレマイオスの惑星の理論は、どのような理論なのだろうか。彼の理論は惑星の(黄経)運動の説明には、たった二つの円しか使わない。多くの円運動を重ね合わせた、あるいは後に追加されていったという解説が後を絶たないのだけれども、全く事実に反する。

火星などの外惑星についていうと、大きな円(導円)は主に火星の公転軌道を、小さな円(周転円)は地球の公転軌道を、各々担当する。惑星は周転円に沿って回転する。そして、周転円もまた、導円に沿って回転する。金星の場合、これら円の役割は逆になる。つまり、プトレマイオスの円は、地動説の公転軌道と対応しているのである。

ケプラーの第一法則、すなわち軌道が楕円であることの効果は、どうやって説明するのだろう。それは、導円の中心を地球から少しずらすことによって近似するのである。本来は周天円の中心もずらさなければならないが、その分は導円の中心のずれに加算されている。つまり、惑星と地球の軌道の離心率を、ベクトル的に足した分だけ導円の中心をずらす。水星を除く五惑星については、軌道離心率が小さいことから、適切なパラメータの設定でかなりの精度をだせる。

ただし、水星についてはプトレマイオスの理論は複雑で精度も悪い。これは軌道離心率もさることながら、データが十分とれていないことが大きい。

では偉大なるレギオモンタヌスは、なぜこのような筋違いの批判をしてしまったのだろうか。

アリストテレスの自然学によれば、天体は宇宙の中心周りに回転する、透明な球体に張り付いている。この理論とプトレマイオスの周転円や離心円との整合性は古代から意識されていた。ヨーロッパに於いては、若干の例外を除いてこの違いは黙認されてきたのだが、レギオモンタヌスは違った。彼はアルペトラギウス(al Bitruji)やHenry of Langensteinらの同心球体説に、問題解決の手がかりを求めたのである。

これらの理論では、地球と天体の間の距離は決して変化しない。また、金星の明るさは、距離の変動と満ち欠けが打ち消すので、ほとんど変化しない。レギオモンタヌスにとって、この事実は月の問題も合わせて、同心球体説を肯定する材料だった。(なお、惑星や恒星の「見かけの大きさ」は、古代や中世ではほぼ明るさと同義に使われる。) ただし、火星についての彼のコメントは明らかな誤りである。火星の場合、満ち欠けは距離の変動を打ち消す作用はしない。系統的な観測をすれば、プトレマイオス説と同心球体説のどちらが明るさの変動を良く説明するかはわかったはずだ。

(そもそも、最短距離は滅多に達成されず、最大距離の時は太陽の影に入るので、そもそもレギオモンタヌスのあげた数値は純粋に理論上のものだ。)

興味深いことには、この惑星の明るさの変化は、古代末期のシンプリキオス以来、プトレマイオス説の優位性の証拠とされてきた。それがレギオモンタヌスに於いては、全く逆の解釈を得ることになったのである。