中国の音律と調律② 三分損益の数理と六十律

このツイートをきっかけに、中国の音律について調べ始めたのだった。


ヘルメスさんが取り上げている、京房の六十律を理解するには、音律の数理に踏み込まなければならない。

三分損益とは

以下では、基底音(黄鐘)の管の長さを1とする。慣例的には9寸とされることが多いが、それでは数学的にはややこしくなるからだ。

中国の音律の基本的な構造は二つある。一つはオクターブの概念で、管の長さを半分にするとオクターブ高い音が現れる。

このオクターブを更に細かく分割するのに用いられるのが三分損益で、これは管の長さを2/3または4/3にして、次々と音を定義していく。

まず黄鐘(管長=1)から始まって、次の林鐘の管長は1\times 2/3=2/3である。4/3倍しないのは、1オクターブ内に収めるためである。次の太簇を得るには、林鐘を4/3倍する。2/3をかけると、4/9になって、1/2よりも小さくなって一つ高いオクターブになってしまうからだ。

つまり、2/3と4/3のどちらを掛けるかは、管の長さが1/2を超え、1以下になるように決めるのである。

  • 基本的には2/3にするのだが、1/2よりも短くなった時には2倍して辻褄を合わせる

と言い直してもよい。さらに言い換えると

  • 基本的には1/3倍したい。しかし、結果が1と1/2の間に入るよう、2を何回かかけて調整する

とも言える。この見方をすると、後で述べるようにk回三分損益の繰り返しをした結果を、一つの式で書くことができる。

さて、三分損益を続けて合計12回繰り返すとしよう、すると管の長さは8/9の6乗、すなわち0.4936…となって、まずまず1/2に近い。そこで「声六律十二管 還相為宮」*1、すなわちこれでオクターブ差が生成されたかのように言われた。また「2」と「3」を組み合わせることから、「参天両地」とも結びつけられた。

参天両地(さんてんりょうち)とは? 意味や使い方 - コトバンク

上記のアルゴリズムの適応の最初の数回は「2/3をかける」と「4/3をかける」が交互に現れる。前者を「下生」、後者を「上生」と言った。また、12の音律の奇数番目を「律」といって「陽」と結びつけ、偶数番目を「呂」といって「陰」に結びつけた。すると、下生で陽から陰が、上生で陰から陽が生じる。陰陽と非常に上手く結びついている。

ところが何度かループを回した先は、「上生」と「下生」のパターンが逆転してしまう。だが『漢書・律暦志』ではこの点に言及がなく、言われたままの操作をするとオクターブずれた音も出てきてしまう。おそらく、このずれは適是二倍したり1/2したりして修正することが暗黙の了解だったのだろう。一方、『続漢書・律暦志』ではどちらが使われたか、リストの形で正しく書かれている。『隋書・律暦志』によると、南朝梁 ・武帝が前者は(暗黙の前提を無視すると)音律としておかしく、後者は陰陽とかみ合わぬとしている。宋の時代の『夢渓筆談』では、律と呂をさらに陰陽に分けることでこのあたりの辻褄を合わせている*2

この三分損益は、ギリシャピタゴラス音階との類似性が指摘される。ニーダムなどは大胆にも、両者ともメソポタミアから分岐したと推測する。確かに、律の起源譚で伶倫が西にいって律管を作る話は思わせぶりではあるが、果たしてどうだろうか。

三分損益と対数

三分損益は、管の長さの対数をとると簡単な式に書き直すことができる。

三分損益は管の長さが1/2を超え1以下になるようにかける数を調整するのだった。これは管の長さをLとすると、2を底とする対数を使って


 0\leq - \log_2 L<1
と書ける。つまり、基本的には管の長さを1/3にしたいのだけど、この条件を満たすように2を何度かかけて調整するのである。

ところで管の長さを1/3にすると、管の長さは LからL'=L/3になって、


 - \log_2 L'=- \log_2 (L/3)=- \log_2 L+ \log_2 3
となる。これが上の条件を満たすように管の長さを 2^n倍する。つまり、 n

 - \log_2 L'=- \log_2 (2^n L/3)=-\log_2 L+\log_2 3+n
が0以上1未満になるように、 nを選ぶ。

これは、実数 xの小数部分 x mod 1を使うときれいにかける。


 - \log_2 L'=(-\log_2 L+\log_2 3) mod 1
よって、三分損益k回繰り返すと

 - \log_2 L'=(-\log_2 L+k\log_2 3) mod 1
となる。そして黄鐘の管の長さを1にしたのだから、黄鐘から出発してk回三分損益を繰り返すと、

 - \log_2 L'=(k\log_2 3) mod 1
になる。これがなるべく黄鐘の値、すなわちゼロに近づくようにkを選ぶのである。言い換えると、 k\log_2 3がなるべく整数に近くなるように、kを選べばよい。

往きて還らず

ところが、\log_2 3無理数である。よって、kをどうとっても k\log_2 3は整数にはならず、よって三分損益ではいくら繰り返してもオクターブ差は作れないことがわかる。

このような一般論は無理であっても、「k=12ではダメ」ということは具体的な計算でも確かめられた筈だ。それを確かめて問題をはっきりと提示したのが、ヘルメスさんのツイートに出てくる前漢末・京房だった。宋の時代の蔡元定は、これを「往而不還(往きて還らず)」と表現した。

京房の六十律と銭楽之の三百六十律

しかし\log_2 3無理数だということは, k\log_2 3はkを適切な大きな整数にすると、いくらでも小さくできるということだ。つまり、十分大きな自然数まで探索範囲を広げれば、いくらでも精度良く「還る」ことができる。

完全な後知恵になるが、このようなkの探索には、\log_2 3を近似する有理数をさがせばよい。その分母が良いkの候補である。Wolfram alphaになげてみると、

  • 3/2, 8/5, 19/12, (27/17), 65/41, 84/53, 485/306, (569/359) …

という近似有理数の列を返してくれた。カッコ内の分数は筆者が加えた(b/aとc/dで上下から挟んでいるとき、(b+c)/(a+d)も近似有理数になる)。
19/12に対応するのが十二律で、次の27/17は(今回は触れないが)宋の時代の蔡元定の十八律である。京房の六十律は、その次の次、84/53に相当する。k=53とすると黄鐘からの差はたったの3.6セントで、ほぼ識別不能だろう(k=59、すなわち合計六十音になるまで続けた理由には、次回述べる。)。

京房の路線を引き継いだのが南朝劉宋の銭楽之で、k値の探索範囲を359まで増やした。kをこの値にすると音の数は360となって、易の理屈では都合が良いらしい。そして569/359と\log_2 3の差は0.0000042…とそれまでに現れるどの有理数よりも、よい近似を与える。だが、途中で現れるk=306もなかなか良い近似だ。実は、こちらの方がk\log_2 3の小数部分は最小であり、より近くまで「還っている」(後者の0.00147…に対して前者は0.00153…)。よって、本来ならここで止めるべきだっただろう。

ここについては、銭楽之の計算間違いが疑われている。
表計算ソフトを用いた中国音律学の理解 (2) : 銭氏三百六十律をめぐって | CiNii Research

『続漢書・律歴志』に数値が残る六十律と異なり、三百六十律は『隋書』律暦志に音の配列(低→高)のみが記され,管の長さは省かれている。また、三分損益で最後に生成される(k=359)のが「安運」であることも書かれている。だが、この安運の位置がおかしい。一番最後に配列されているのだが、計算すると最初から二番目、すなわち黄鐘の直後にくるはずなのだ。おそらくは少しだけ値がずれて、黄鐘を跨いでしまったのだろう。

だがこれ以外は、矛盾はないようだ。数値が残っていないので検証は難しいのだが、六十律の間に入る律の個数は、上記の間違い以外は全て正しい。もし真面目に全て計算したのだとしたら、当時の算木を用いた計算では、かなりの労力だっただろう。

簡便な三百六十律の計算方法

銭楽之は、何の当てもなく三百六十律を延々と計算したのだろうか。もしかしたら、何かの方法で目処を立ててから初めてのではないか。

少し考えて思いつくのは、『後漢書』律暦志にある京房の計算を利用することである。それによると、三分損益を53回繰り返すと、元は9寸だった管の長さが「8.98寸+α」と完全には「還ら」ないで、少し縮む。一方、41回では「4.55寸+α」の「遅時」の音になる。これはオクターブ高い黄鐘の管=4.5寸よりもやや長い。

そこで、この遅時に三分損益を53回施せば少し縮んで、オクターブ高い黄鐘の管に近づくことになる。つまり、


 4.55\times(8.98/9)
程度の長さになることが、三分損益を実際にやらずに確認できる。同様に

 4.55\times(8.98/9)^6
は「遅時」を出発点に三分損益を53\times 6回した結果を与える。これは4.5、つまりオクターブ高い黄鐘の音に非常に近い。言い換えると、黄鐘に

41+53\times 6=359
回の三分損益を施すと、オクターブ高い黄鐘に近い音が得られることがわかる。こういった目途がついていれば、大変な計算をこなす勇気も湧くかもしれない。

なお、同じ手法で『隋書』の配列を、実際に管の長さを計算することなく作成できる。六十律の隣あった律の間に、いくつの律が入るかだけを出せば良いからだ。これは、8.98/9+αの冪乗の表を作っておき、それを六十律の管の長さ同士の比を比べれば、簡単に出すことができる。

これらの簡便な方法は、演算の回数が少ないので誤差が累積せず、粗い精度でやっても正しい答えがえられる。ところが、実際には少し間違えた結果を銭楽之は得ている。仮に用いたとすると、かなり荒い計算をしたことになる。

精度の問題

六十律や三百六十律の計算はどのような精度でなされたのか。下記のリンク先で、六十律の数値の検討がなされている。
表計算ソフトを用いた中国音律学の理解 : 六十律や律呂隔八相生図をめぐって | CiNii Research

『続漢書』も『隋書』もほぼ同じ手続きが書かれている。まず、黄鐘に177147=3^{19}という数値を割り振る(「実」とよんでいる)。これに「寸」などの単位は付かない。完全に抽象的な数である。三分損益は、「2又は4をかけてから3で割る」と算法が統一的に指定されている。この「実」は、十二律を端数なく表現できるように取ってある。そしてここまでも計算は、全く誤りなしに進んでいる。

ここから先は割り算にあまりが出る。結果の精度を見ると、誤差はあっても最初の一桁がずれるかどうかだ。なかなかの精度だと思う。結果の表示では「実」は整数だが、裏の計算では端数も残していただろう。試みに、小数点以下第二位を四捨五入して第一位まで保って検算したところ、整数部分は全て正しく出てしまった。『後漢書』の数値はこれよりも荒いので、もう少し粗略な方法なのだと思う。

三分損益の計算で、4/3をかけるステップでは誤差が拡大する。特にこれが何度か続いた後は、精度が落ちている。しかし、その後には必ずや2/3をかけるステップが現れ、ここで誤差は縮小する。そしていくつかのステップをまとめると1よりも小さな数の掛け算になる。よって、カオス力学系のような野放図の誤差の拡大は起きない。楽では無いが、手に負えないということもなさそうだ。

『続漢書』では、抽象的な数値をさらに律管の長さに変換している。やはり、抽象的な数では座りが悪いのか。黄鐘を九寸とし、十分の一寸を分、100分の1寸を小分とし、それ以下の端数は「強弱」でプラスかマイナスかを表し、大きさを「微」「中」などで定性的に表した。

これらは比例計算や1よりも小さな数の扱い方の例としても、非常に興味深い。

メルカトルの53平均律

「六十律」をwikipediaで引くと、17世紀の数理科学者ニコラス・メルカトルの53平均律へのリンクが貼られている。(なお、「メルカトル図法」のメルカトルは前の世紀の別人。)天文学者として有名で、ケプラーの理論の受容においても、非常に重要な役割を果たした。
歴史は繰り返すとはよくいったもので、彼も完全5度(2/3)や完全4度(4/3)の積み重ねを53回繰り返すと、ほぼオクターブ差が得られることに気がついたようだ。「平均律」とは言ったものの、音と音の間隔はバラバラである。

ところで、戯れに(安運は黄鐘に等しいとして飛ばして)30おきに360律から音を拾いあげてみた。つまり、31、61…と拾いあげる。するとほぼ平均律に一致している。個々の音の幅は「359平均律」にはなっていないのだろうが、30くらいまとめると平滑化されるのだろう。ただし歴史上、そういう観点で三百六十律が使われた事実はない。

何に用いたのか

では、これら六十律や三百六十律は何に用いたのか。あまりにも細かすぎる刻みは、実際の演奏には全く役に立たない。では音律の理論としては、のちに影響はあったのか。『続漢書』の後、『宋書』『晋書』『隋書』の律暦も京房の説を紹介しているので、魏晋南北朝時代においては常に意識されていたのだと思う。『魏書』楽志によると、北魏の琴の奏者・陳沖儒が十二律の問題を指摘し、京房の六十律の採用を願い出た。また、何承天の画期的な新律は、六十律の否定から生まれた。このころまでは、十二律の「往きて還らず」という問題は、理論家の間では共有されていたのだろう。だが、問題点の提起という以上の影響はあっただろうか。

今明らかになっている六十律の応用は、「候気」とよばれる占いだ。灰を詰めた律管を円環状に並べると、日付に対応する律管の灰が飛ぶ。その飛び方をみて占いをした。ここで各々の律管は一年のある区分に対応するので、数が多ければ多いほど細かい占いができる。

『続漢書』律暦志に「殿中候用玉律十二,惟二至乃候、靈臺用竹律六十候日如其曆。」にあるように、簡易な占いは十二の玉製の律管を用いた。しかし、冬至夏至の微妙な時期には、天文台で竹製の六十の律管を用いたのである。『漢書』京房伝によれば、彼は占術の専門家として名を成したのであった。

京房の「準」

音律の歴史における京房の功績の第一は、「往きて還らず」という問題を際立たせたことだろう。そして、もう一つの功績として挙げられるのが、調律用の弦楽器「準」である。伝統的な中国の音律学では、「律」が音律と律管の両方の意味を兼ねたことから類推されるように、律管が音律の基準とされた。

もっとも、調律の実際はまた違っただろう。現代においても、実際の調律と理論とはずれがある。若い頃、調律師に転職した知り合いに音律の理論のことを尋ねてみたら「そういう話は実際はあんまり関係ないので。。。。」と言われてしまった。だが、建前としては、律管=律=音律だった。それに対して京房は「竹聲不可以度調」、竹の律管などではダメだと言い放った。ゆえに準を作ったのである、と。今回は長くなったので、準の話はまた次にしたい。

*1:礼記』礼運

*2:東洋文庫版、第一巻、pp.108-110