玉と球~日本の場合

前回、中国における球体を表す言葉、とくに「球」が球体を表すようになった経緯について、素人的な考察をしました。

  • 球はもともとは、玉(ぎょく)という鉱物と関係のある言葉で、美しい玉や玉製の「磬」という打楽器を表した。
  • 球体という意味をもつきっかけの第一は、音。ボール、転じて球体のもの全般を表す「毬」や「鞠」と音が同じ。例は多くはないが、毬の代わりに球を用いることもあった。
  • しかし、数学や天文学では「丸」「円」「渾」「立円」などが球体を表すのに使われていた。
  • それらや「毬」「鞠」などを押しのけたのは、明末の翻訳運動の時。尚書に現れる玉製の磬・天球の転用から。ただ、古い用語も併存。

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この話で、「玉(ぎょく)は丸くない」というところは大事で、日本人はうっかりしやすいと思います。現代のものでも昔のものでも、中国の字書の「玉」の項目に、丸いものという意味はないです。純粋に材料の名前で、特定の形状のイメージはないのでしょう。実際、様々な形状の玉製品があります。

しかし、日本では「玉」は「たま」と読んで、球体を意味します。起源のことはさておいて、江戸時代の和算書でのことをメモしておきたいと思います。といっても、以下のサイトから得た情報の羅列になりますが。
www.wasan.jp
まず、同サイトの和算用語検索で「球」を解説文に含む項目を検索すると、「球」に関連する用語を引き出せます。

  • 半玉成 :半球、百川治兵衛『諸勘分物』(1622)で使用
  • 玉成:球、百川治兵衛『諸勘分物』(1622)で使用
  • 玉率:球の体積と直径の3乗との比。玉法ともいう.
  • 玉闕:球を平面で分けた一方の形.球闕とも
  • 玉皮:球の表面積のこと.竪亥録や算法闕疑抄で使われている.

また、和算書アーカイブには、和算書の影印がpdf化されておいてあるので、主に関孝和以前の和算家のものをあさってみます。

村松茂清/寛文3年(1663)『算爼』巻三、「玉闕」 「玉皮」
佐藤正興/寛文9年(1669)『算法根源記』上之ニ、「玉円」
算法勿憚改巻一、「玉起」
村瀬義益、算法勿憚改巻一/延宝元年(1673)、「玉皮」

中国で定番の「立円」等ですが、意外と見つかりません。関孝和前後に出てくると思うのですが。弟子の建部賢弘『綴術算経』は球という言葉を使っています。一方、「立円」の名残は楕円体を表す「長立円」という言葉に残っています。下の例では、球とともに「長立円」(楕円体)という用語も使われています。

藤田貞資閲,藤田嘉言編、増刻神壁算法、寛永8年(1790)
感想

球を表す用語を見ると、自然と書き手の知識の起源が浮かび上がってきます。
「球」は明末翻訳運動の結果生まれた言葉で、中国化した西洋天文学および数学の系統の用語で、「立円」は伝統的な中国数学の用語です。

建部は中国化された西洋天文学の研究に手をつけていますし、そちらの影響で「球」を使っているのだと思います。「地球」という言葉は、『天経或問』や『和漢三才図絵』などで広まりますし、それに明末清初の『崇禎暦書』『暦算全書』などの影響は、日本の和算家にも及んだと聞きますから、「球」の使用は自然だと思います。

一方、「玉」という日本独自の言葉を用いていた、関孝和以前の和算家たちの知識の源流はどこだったのか、気になるところです。例えば、彼らは3.16という中国では見ない円周率を採用しています。林隆夫先生が中公新書の『インドの数学』の終わりのほうでインドからの伝来か?という仮説を提示されてましたけど、そういった仮説を出したくなるくらい、ちょっと異質なわけです。

「玉」から「球」へと球を表す言葉はかわったのですけど、「立円」その他、中国でメジャーだった言葉は、両者の狭間にあってあまり活躍していないような。これは今後、調査したいところではあります。

追伸 「毬」のこと

「球」の文字が球体を意味するようになるうえで、「毬」と同音だったのは、重要なきっかけだったわけですけど、「毬」を上記の用語検索にかけると、次の書物名がひっかかりました。

毬闕変形草/きゅうけつへんぎょうそう
【書名】関孝和の著作をまとめた七部書の最後の書.最後の文字に「草」とあるように,草稿のようである.弧環(弓形を色々な軸について回転させてできる図形)の求積を解明しようとしたもの.

だそうです。題名の「毬」は丸いものを意味すると思います。ただ関孝和の真作かどうか。国書データベースで検索すると、影印が読めます。