XでFFのヘルメスさんが、こんなツイートをしていました。
要するに、
「地球」という言葉を最初に使ったのは、明の終わりごろのイエズス会 の宣教師、マテオ・リッチ ら
最初に「天球」という言葉ができて、その類推
日本では、新井白石 『西洋紀聞』
ということらしいです。
明の終わりごろ、マテオ・リッチ らが紹介した西洋の学問は、徐光啓 、李之藻 らに深い感銘を与えました。彼らの要請にこたえるため、宣教師の一部は欧州に戻って、書籍、人員、最新情報を集めます。このときは、ケプラー も協力していますし、ガリレオ の望遠鏡による観測の結果も伝えられました。一方、徐光啓 は朝廷を動かして人材と費用を調達し、翻訳と天体観測を遂行する体制を整えました。こうして、短期間のうちに膨大な量の西洋の知識が中国語に取り入れられたのでした。当時の中国語は東アジアの学問語ですから、朝鮮や日本も翻訳事業の恩恵を受けました。その一例が「地球」だったわけです。
…正直、さほど意外でもなかったので、最初は「へ~」と流したのですが、やがてジワジワと疑問が湧いてきました。まー、普通は「天球」「地球」は、天や地に球形を意味する「球」をつけたのだろう、わかりやすいな、と思いますよね?しかし…
そもそも、丸いものを「球」とよんだのか?
しかし、中国の伝統的な数学や天文学 では、球体のことを「円」「丸」「渾」、あるいは「立円」「渾円」などとよんでいます。「球」は見たことがありません。北宋 の沈括『夢溪筆談』象数一では、
「日月之形如丸。…如一彈丸,…」
と太陽や月の形状を説明しています。なお、「彈丸」は、当時は弓で飛ばしたようです。算書ですと、『九章算術』少広の最後に球の体積を与えて直径を求める問題が2つ出されているのですが、球は立圓(円)とよばれています。また、この問題の注を読むと、「丸」「渾」といった名称が使われたことがわかります*1 。
まあでも、この明末の翻訳において、旧来の用語と決別して新語を使う例は、「三角形」など他にもあります。日本の明治期でも同様だと思います。ですから、「あー、またこのパターンか」と思った程度でした。
しかし、なんでこの文字を使ったのか…と字書を引いたとき、困惑はさらに増幅しました。
そもそも、「球」は丸いのか?
現在、中国でも球体は「球」の文字であらわします。しかし、元々この字の意味はなんだったのでしょうか?
まず手軽に引ける、清朝 で編纂された『康煕字典 』で「球」を引いてみたのです(ネットにいくつもサイトがあります)。これは、徐光啓 とマテオ・リッチ の少しあとに編纂された、非常に完備した字典です。ところが、その「球」の項目には、丸い形という意味はのっていません。この文字の「求」の部分は音を表し、「王」の部分は鉱物の一種である「玉(ぎょく)」を意味するようです。美しい玉(ぎょく)、あるいは玉で作った打楽器(磬(けい)、又は玉磬)といったいった意味が説明されています。球や球の形のもの、という意味は出ていません。 (付録に全文を引用して説明をつけました。)下に磬(けい)の図を掲げておきますが、見ての通り、むしろ直線的です。
磬(けい)という楽器。「球」は、玉又は玉製の磬を意味するとされた。図は『欽定古今圖書集成』經濟彙編/樂律典/第101卷 なお、「玉」を丸いものと結びつけるのは日本独自のようです。例えば、藤堂明保 『漢和大字典』*2 では「日本語での特別な意味」として、「たま。まるいもの。」としています。中国の字典をいくつかひいてみましたが、やはり「まるいもの」という意味はありませんでした。「玉」はあくまで素材の名前で、円環や方形、あるいはもっと複雑な形状に加工されました。貴重なものでしたから、祭具や装飾に使われてきました。玉製品の例としては、璧(へき) 、圭(けい) 、琮 、璜(こう) 、玉璽、そのほか佩玉、簪などの装飾品などが挙げられます。
それから、俗説的な字源を載せているウエッブサイトが結構ありますが、それらは全くあてになりません。日本の漢和辞典 の字源の説明も、微妙なようです。
「球」と「毬」
上述したように、マテオ・リッチ と近い時代の権威ある『康煕字典 』には、「球」の球体という意味を載せていません。この字典は、先行する字書をすべて参考にし、経書 や史書 、それらの名だたる注釈たちも、しっかりと網羅しています。ただ、(当時の)現代的な用法や、正式でない用法はどの程度拾われているのか?そもそも、「地球」「天球」という言葉は既に使われており、後でのべるように、数学の本では現代とほぼ同じ意味で用いられているのですから。
仕方がない、直接当時の用例をみてみるか…と愛用しているctext.orgで「球」を検索すると、「毬」という文字を含む文が大量にヒットしています。そこで同サイトの字典機能でチェックすると、「球」が「毬」の異体字 に加えられていました。搜韵 (漢詩 のデーターベース)や東文研のデータベース でも同様でした。それから、『康熙字典 』によると「毬」の音は「球」の第一の音(つまり、固有名詞以外の意味に対応する音)と一致しています。
では、この「毬」はどういう意味か。植物名などの派生的な意味はさておき、元々の意味は蹴鞠用のボールらしいです。後には馬にのってプレーする、ポロのような球技「撃毬」のボールを意味するようになりました*3 。
撃毬(撃球)の情景、遼墓の壁画の模写。福本、1999より引用
また、この意味から転じて球形のもの全般をさすそうです。例えば、以下のリンクをご覧ください(各々の意味の古さは、用例からわかります。)。
毬的解释|毬的意思|汉典“毬”字的基本解释
球形、もしくはその喩えと思しきもとしては、
至正十七年六月癸酉,.... 所至有光如毬,死者萬餘人。(『元史』五行志二)
球形の光が至るところに現れて、沢山の人が亡くなった、と。自然現象なのか、怪異なのか?次の引用は、モンゴル帝国 の時代にイスラム 世界から伝来した地球儀 だとされています*4 。
西域儀象... 其制以木為圓毬 ,七分為水,其色綠,三分為土地,其色白。(『元史』天文志一)。
地球儀の形状を、「圓毬」つまり、円い毬としているのです。
次に動植物の例。南宋 の王質の詩「山友辞」に、「屈陸兒」なる鳥は、
…翅有兩白團如毬,…
「羽に二つの毬状の白いかたまり(白團)がある」と描写されています*5 。
図があるものはないかと探したところ、球状のポータブルの香炉に行き当たりました。現在は「薫香球」「香球」とよばれることが多いようですが、『宋史』『元史』では全て「香毬」です*6 。
唐代の
薫香球 (写真はリンク先の人民日報のサイトから引用)。『元史』『宋史』では「香毬 」。 これらの「毬」は、前近代でも「球」で代用されることがありました。例えば王質の詩「山友辞」の別の版*7 では、「如毬」ではなく「如球」になっています。「香球」「撃球」といった表現も、数は多くないのですが、見つけました(後述)。
また、日本における「地球」の初出、新井白石 『西洋紀聞』には、「毬」の代用の分かりやすい例が含まれています:
大地、海水と相合て、其形圓なる事、球 のごとくにして…、其地球の…
この太字にした「球」には「キウ」と音が、「テマリ」と訓が添えられています。添付した画像は、内閣文庫所蔵の、享保 年間の、白石自筆とされる写本です*8 。
白石の自筆写本にある「球」。 また、「球」に音「キウ」を訓「マリ」を付した、建部賢弘『綴術 算経』の版本の影印をFFの方に見せていただきました*9 。これらは、「音を手がかりにこのような意味に取ってくれ」と促しているのだと思います。
つまり、「球」本来の意味には球体という意味はないものの、同音の文字に球体を表す「毬」という文字があり、通用もしていたのです。
「球」の採用は、どのくらい自然だったのか?
しかしながら、「球」という訳語の採用は、果たしてどのくらい自然だったのでしょうか?すでに述べたように、算術や暦算では別の文字で球体をあらわしていました。そのうち、「丸」などは、一般的な文書でも用いられています。それに、「球」が「毬」の代わりに使われたといっても、以下にのべるように、事例はそんなに多くはありません。
人文研の漢籍リポジトリ では異体字 を区別する設定で、影印も確認しやすいので、以下でヒットする数の比較をしてみます。
「香球」8,「香毬」245
「撃球」1、「撃毬」75
「打球」2、「打毬」745 (撃毬の別名。福本論文の最初のページ)
「球場」2、「毬場」283 (撃毬の競技場。『漢語大詞典』「球場」の項目参照)
なお、『漢語大詞典』では陸游 の詩「送襄陽鄭帥唐老」の一節を「球場」の用例としていますが、搜韵 では「毬場」となっており、典拠に依存しそうです*10 。
それから、「如球」(球のようだ)という言い回しも検索してみたのですが、球形を意味するのは合計2件だけでした*11 。なお、北宋 初期の類書『太平御覧』*12 で「球」を検索したのですが、球形を含意したり、「毬」の代用と思しきものはありませんでした。
また、数日間の限られた検索の上でのことなのですが、「球」の用法は、やはり本来の『康煕字典 』的な意味の方が多いように思います。「球璧」「球琳」は「天球」とともに美しい玉の意味で、優れたもの、尊い ものの比喩として用いられました。「珍重如球貝」*13 などという表現もあります。また、人名にも用いられました。
総合すると、「球」が音を通じて、あるいは「毬」の代用として、球状のものをイメージさせることは可能だったと思います。しかし、そのような用例は多くはなく、また「球」という文字の主要な用法でもなかった。白石は「球」に音と訓の両方を注記していますが、球体という意味を伝えるために必要だったからだと思います。そしてすでに述べたように、『元史』天文志(明の初期の編纂)では、地球儀の形状を「毬」に喩えています。
つまり「球」という文字は、ラテン語 sphaeraの訳として意味は通ったと思いますが、自然な選択ではなかったのでは?より有力な候補がいくらでもあったのでは?という疑問が湧きます。
『尚書 』の天球
以上のことから、「球」が採用されるには、何か特殊な要因が働いたと考えざるをえません。
そこで文献を漁ってみると、黄河 清氏の論文が何本かヒットしました。氏曰く、まず「天球」という訳語ができ、「地球」はそのアナロジー だろうとのこと。では、「天球」はどこからきたか。黄氏いわく、『尚書 』顧命の
天球河圖在東序。
が典拠であろう、と*14 。『尚書 』顧命は先秦時代に書かれた、非常に古い経書 です。テキストを確認すると、周の成王が亡くなった時の葬儀の会場の説明の中にでてきました。この場所にはAとBを飾り…というリストの中に現れます。そして、文字の意味や前後関係から、玉製の祭具、あるいは楽器だとされています。なお、後漢 の鄭玄の注では、「雍州所贡之玉色如天者」(天のような色をした玉が雍州に産する)とあります。形状ではなく、色が天に似ているから「天球」らしいです*15 。なお、天の色はどんな色は「玄」、すなわち赤みがかった黒とされました。この色については、以前記事を書きました。
gejikeiji.hatenablog.com
『尚書 』に「天球」の形状についての言及はありませんが、これが玉製の楽器「磬」(上図のように、「へ」の字型です)だというのは、一つの標準的な説明です*16 。
前近代の中国では、なにかと古典に根拠を求めます。天文学 でも、新しい概念や機器が出てくると、度々こういったこじつけがありました。例えば、前漢 武帝 期になって盛んに使われるようになった、渾天儀(アーミラリー球)という天体観測機器があります。これを権威付けるために、やはり『尚書 』が利用されました。
『尚書 』舜典に、舜が即位した直後、
在璿璣玉衡,以齊七政。
とあります。後漢 以降の解釈によると、この「七政」は日月と五つの惑星をあわせたものだそうです。そして「璿璣玉衡」は玉製品であり、モノとしては渾天儀 とよばれる、天体観測機器とされました(もちろん、無茶な解釈)。つまり、伝説の帝王・舜の即位後の最初のアクションは、なんと天体観測だった*17 !
「璿璣玉衡」の図。清末に描かれたもの。 このような先例もありますし、また、明末の翻訳運動で、古典から用語を拝借している例は他にもあります。例えば、アリストテレス ・プトレマイオス 的な天球の多層構造は「九重天」とされていますが*18 、これは『楚辞』の文言を借りているのです。もちろん、両者の宇宙構造論は全く異なります。
こういったことを考えると、古典の文言を拝借して新たな訳語にあてたとする推測は、極めて自然だと思います。ただ、『尚書 』顧命の「天球」は明らかに人造の器物であって、自然物である天球(sphaera)とは、カテゴリーが違いすぎる点は気になります。これについては、また後ほど言及します。
「天球」「地球」から「球」へ
黄、2017によると、「地球」が確認できる最古の文献は、マテオ・リッチ の世界地図です。彼は、1583年に欧文で、1584年に中国語で世界地図を発表して好評を博します。残念ながら、これらは全く失われてしまっており、ただ1600年の『山海輿地全図』は『月令廣義』(1602年)と『三才図会』(1607年)への引用で残っています。
『月令廣義』 所引の『山海輿地全図』 の「天球」。Harvard Yenching Library 地図の右上に挿入されたテキストに「天球」、そして左上および左下のテキストに「地球」という語が確認でき、これが最古の確認できる出典です。そして、『坤輿万国全図 』(1602年)、『幾何原本』(1608年)の序文、宇宙構造論の書『乾坤体義』(1610年)でもこれらの語は盛んに用いられて*19 、『乾坤体義』には「日球」「月球」すら出現し*20 、「球」が球体を表す接尾辞として盛んに用いられています。
坤輿萬國全圖[James Ford Bell Library藏原刻本] | 開放博物館
坤輿萬國全圖の「地球」 明末翻訳運動や、その影響で成立した数学関係の文書を見ると、「球」は球を表していますし、球面は「球面」「球上」などと言われています。例えば、球面幾何学 を扱った『新法算書』所収の『大測』のある部分、梅文鼎『暦算全書』所収の『弧三角形挙要』、康煕帝 時代の『暦象考成上下編』巻二、などで用例を確認できます。後の二例は、宣教師の関与はないので、中国側の専門家にもこの用語が浸透していたことがわかります。
なお,『坤輿万国全図 』の向かって右上隅のマテオ・リッチ の署名入りの文章、及び『乾坤體義』に
地與海、本是圓形、而合為一球、居天球之中、誠如鷄子、黄在青內
とあり、ほぼ同一の文が『三才図会』にもあります*21 。白石の『西洋紀聞』の文は明らかにこれに似ています。
今日の用法との違い
「天球」「地球」から始まって、球体を表す代表的な言葉になってきた「球」なのですが、やはり使用状況には現代とは異なった点があります。
例えば、清の康煕帝 の時代の数学の叢書『數理精蘊』でも「球」は球の意味で用いられますが、同時に「圓(円)球」という言葉も非常によく出てきます。「円い球」ですね。おそらく、「球」は「圓(円)」と違って、図形や球形の物体を表す名詞であって、形状を表す形容詞としては使えないのでしょう。
また、「渾圓」といった古い用語も消えてはいません。数学的な文書でも、『數理精蘊』下編や『暦算全書』所収の『弧三角挙要』に用例があります。天文学 的な文献ともなれば、なおさらのことです。例えば、下の影印を見てください:
「球」と「円」の同居の例。『新法算書』(巻十九・二十)所収の『渾天儀說』の一説。 「地球、以円形、倣地之本体」とありますね。また、「地球、倣地之原形、必為円(第十六巻・二十)」、「地与海之円、亦各自為円形、未必併為一球(巻十六・七)」というのも見つけました(いずれも『渾天儀説』)。「円」は、図形の名前であり、同時に形状をあらわす形容詞でもあります。一方、「球」は球形の物体や図形のみをあらわし、まだ形状そのものを表す言葉にはなっていないように思います。すでに引用した新井白石 『西洋紀聞』の「大地、海水と相合て、其形円なる事、球のごとくにして」も同様です。
天球儀、地球儀としての「天球」「地球」
『明史』天文志一に
萬曆中,西洋人利瑪竇、制渾儀、天球 、地球 等器。仁和李之藻 撰《渾天儀說》,發明製造施用之法,....
崇禎二年,禮部侍郎徐光啟兼理曆法,請造象限大儀六,紀限大儀三,平懸渾儀三,交食儀一,列宿經緯天球 一,萬國經緯地球 一,
とあります。これらは献上品のリストですから、「天球」「地球」は天球儀、地球儀だと思われます。それから、上の『新法算書』所収『渾天儀説』の影印なのですが、「地球用法」という言葉が見えると思います。用いるのだから地球のはずはなく、これも地球儀です。「地球、以円形、倣地之本体」は、地球儀が大地の形に似てまるい、という意味かと*22 。
『尚書 』の「天球」を訳語の成立の契機として見たとき、一つひっかかるのが、指し示すものとのカテゴリーの違いでした。つまり、sphaera caelestisは天空に広がる巨大な透明な球で自然物、一方、『尚書 』の「天球」は人造の小さな器物です。もしも、「天球」の訳語が天球儀を意味するところから出発したのなら、このギャップも埋まると思うのです。
まとめのようなもの
中国は古くから数学や天文学 を含め、分厚い文明の蓄積があります。その中に、どのようにして異質な西洋の学問を取り込むか。徐光啓 の「鎔彼方之材質、入大統之型模」(西方の材料を溶かして、大統の型に入れる)は、そのような問題意識を如実に 表しています*23 。しかるに、彼が主導した『崇禎暦書』は、一瞥して「大統之型模」から大いにはみ出していることが明らかです。三角法も幾何的なモデルも中国に全く欠落しているのだから当然のことで、『幾何原本』の翻訳に関わった徐光啓 は、十分それに自覚的だったと思います。つまり新知識は、中国の学問の組み替えを、多少なりとも強制するものでした。これをどのように受け止めるのかは、当時、大問題だったはずです。
翻訳語 の選択も、そういった取り組みの一部だろうと思います。知識量からし て、「天球」や「九重天」を引っ張ってきたのは、李之藻 や徐光啓 彼らの方でしょうし、この選択には彼らなりの意図があると思います。一方、それを受けての言葉の運用は、マテオ・リッチ らの側に基本的には委ねられていたはずです。特に彼らが言語に習熟した後では。『乾坤体義』などは、リッチが中国に来て随分と経ってから公開されたものです。このあたりの両者の相互作用の機微については、相当の研究がありそうで、一度勉強してみたいものですが、こうやって定着した「球」という用語は、球体を表す数学用語として旧来の用語を押し退けてしまいます。
付録:『康煕字典 』の「球」
以下、改行と番号は筆者。
《唐韻》巨鳩切《集韻》《韻會》《正韻》渠尤切,x音求。
《說文》玉磬也。《書·益稷》夔曰:戛擊鳴球。《傳》球,玉磬也。
又《廣韻》美玉也。《書·顧命》天球河圖在東序。《詩·商頌》受小球大球。《傳》球,玉也。
又琉球 ,國名。詳後琉字註。
又《集韻》渠幽切,音虯。
美玉名。《集韻》或作璆。
まず、基本知識として、『康煕字典 』に乗っている語義は、全て過去の辞書類や古典から集めています。よって引用だらけで、地の文はほんの少しです。上では、引用元を《》に入れて表示しています*24 。1と5は発音の説明です。漢字は二つ以上の音のあるものが沢山あります。「球」の場合、二通りの発音があることがわかります。音が違うと、字面が同じでも違う単語です。2-4は1の発音をするときの意味で、6は5の発音をするときの意味です。そして、「又」で区切られるごとに、違った意味が提示されています(なので、「又」の直前で改行しているのです)。
2,3,4,6が意味を説明しているわけですが、4は国名、6は固有名詞。打楽器「玉磬」という意味は2で、美しい玉という意味は3になります。
一部、フォントが足りなかったので、影印へのリンクを貼っておきます(武衛殿本)
康熙字典網上版 KangXiZiDian.Com
付録2:明末清初の数理科学文献
冒頭述べた通り、宣教師たちの一部は途中で一時帰国し、本格的な第二次派遣団を組織して戻ってきました。そして、いよいよ西洋天文学 による改暦事業がスタートします。これを境に、文書の内容は専門性を増し、宗教的・哲学的な色彩を薄めます。改暦事業に関係した文書の代表が徐光啓 撰『崇禎暦書』を構成する文書で、それ以前の文書の代表が李之藻 撰『天学初函』に収められる諸文書です。また『天学初函』以外にも、初期のマテオ・リッチ らの世界地図『輿地山海全圖』『坤輿萬國全圖』『乾坤体義』は、影響力が非常に大きかった。また李之藻 とフルタードの『寰有詮』は時期は遅いのですが、アリストテレス 『天体論』の抄訳+注釈で、概念の導入史からいっても、興味深いところです。
これらの文書は、ある程度インターネットの公開資料で内容を窺い知ることができます。ただ、『崇禎暦書』は公開されておらず、アダム・シャール のいくつかの著作を追加して清朝 で編纂された、『新法算書』を見ています。清が中国に入ってきたタイミングで、アダム・シャール は自らの著作若干と『崇禎暦書』をまとめた『西洋新法暦書』を献上し、暦の編纂を任されます。後にこれが四庫全書に『新法算書』として取り入れられます。ただし、これら3つは完全に同じなわけではなく、若干の改変がほどこされているようです。そもそも、『崇禎暦書』にもいくつかの版があるそうです。
このように複雑な来歴の文書の、未校訂の本を素人が見ているので、限界は自ずとあります。
見落としいた文献:章太炎『章太炎説文解字 授課筆記』
これは、章太炎という、清末〜民国期の儒学者 ・政治運動家の日本滞在時の講義の筆記録です。取り上げられているのは、現存最古の字書『説文解字 』ですけど、字書そもものだけでなく、各々の「字」についても論じています。そんなのどこで読んだんだよ…と思われるかもしれませんが、数字化 という字書のサイトで引くと、字書本文のあとに、同書の関連する部分が引用されています。
「球」の項目を引くと、『詩経 』商頌の「小球大球」という文言の解釈が論じられ、その中で「球」が円体を表す理由を考察しています。書く前に、これを参考にすべきでした。曰く、同じ音の文字で、球形を含意する文字が多い、と。
王氏注,拱梂皆訓灋,凡从求聲之字,多有圓意。如裘(裘必團毛使之圓?),莍(莍食?)、鞠(平聲為球)。
なぜ「鞠」があって「毬」がないかというと、「撃毬」のところで引いた福本論文の最初のページに
…鞠はもともと獣毛を皮包んだ蹴鞠であり、唐になってから毬の字を用いたことがわかる。
と書いてあるような事情だと思います。「鞠」の球形のもの一般を表す比喩的な用法も、調べるべきでした。ただ、鞠以外の二つの文字は、若干分かりずらいです。「裘」は皮や毛皮で作った衣服ですし、()内は筆記者の注記と思われますが、解釈に苦慮しているようにみえます。
「毬」の「球」に似た字体
なお、あまり関係ないかもしれませんが、「毬」にはこんな字体もあります。
「毬」の字体の一つ。陸游 『老學庵筆記』卷一、乾隆御覽四庫全書薈要本、ctext.org. あまりにも球に似ているので、なんとなく気になりました。