「歷」と「曆」

最近、明や清の時代の天文学書を眺めることがあるのですが、それらでは「歷」を「曆」の代に用いることが多いです(以下サボって新字体で書きます)。よって中国のデーターベースを検索する時に『考成』でかからない時は、「歷」で試します。

これらの字は、形も似ているし音は同じです。『説文』(大徐本)には、

-歷:過也。从止厤聲。

-曆:厤象也。从日厤聲。《史記》通用歷。

とあり、ともに音は「厤」という字と同じだというわけです。『康熙字典』でも、いくつかの韻書を引いて同じ音だとしています。しかも、暦は史記では歴とも書く、とあります。この事実はctext.orgでの検索でも簡単にチェックすることができます。現存する字書の中では『説文』についで古い『玉篇』には、

-象星辰, 分節, 序四時,…本作歷, 古本作厤

とあるようです(元の時代の刊本とのこと)。

http://www.shuowenjiezi.com/char_s.php

つまり、元は暦は歴と書いたし、さらに古くは厤と書いたと。「厤」を『康熙字典』で引いた結果を貼っておくと、

-厤:《玉篇》古文曆字。註見日部十二畫。又《說文》治也。《玉篇》理也。亦作秝。

『説文』ではおさめる、『玉篇』には「理」とあるようですが、これも「おさめる」だと思います。

字書を引いた結果で整理すると、暦は元々は「厤」だった。「歴」で代用することもあったーということになりそうです。漢字は元々は象形文字ではありますが、抽象的な事物を表す場合は、音で考えた方が良いことが多いように思います。よって、まあ自然な経緯なのかなあと思います。

字書を信じていいか

しかし慎重を期すと、字書を信用して良いのか?が気になります。

『説文』は後漢の許慎の撰とされますが、今手軽にネットで引けるものは北宋の徐鉉が断片をかき集めて作った「大徐本」です。これは、少し前に弟の徐鍇の「小徐本」を補ったもので、「新附」として新たに字が付け加わっています。「暦」は「新附」なのでは?というのが昨晩の一夜漬けの私の結論です*1。「新附」だから怪しいとまでは言いませんが。。。

同じようなことは『玉篇』にも言えて、北宋の時代に語釈や用例を削り親字の配列を変え、し親字を増補した『大広益会玉篇』が出ました。上のサイトで提供されている版がこれの系統を引いている可能性は高いと思います。『康熙字典』への引用も同様です。

一応、四庫全書に収められている版は見たのですが、少なくとも他の版よりも古い形を保っているとは言えなさそうです。まず「日」の部に入っているのに、親字が「歴」の異字体「厯」になってしまっています。部首がおかしいですし、これでは「本作厯(本来は厯と書いた)」の文が「厯は本来は厯と書いた」という意味になってしまい、明らかにおかしいです。「日の部にあるのだから、親字を然るべく置き換えて読め。」という「仕様」なのでしょうが、「字体も含めて、古来の形を極力残す」方針ではなさそうです。

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また、唐の時代の写本が日本に伝わっているのですが、欠落した部分の方がずっと多く、残った巻の番号から判断すると「暦」の部分は欠けていると思います。

つまり、この二つの字書はどちらもオリジナルは古いけれども、今アクセスできるバージョンは、かなり新しいです。

そもそもオリジナルの字書であっても、字書に書いてある起源の説明を鵜呑みにできるはずがありません。所詮は当時の信念ですから。

用例を考えると。。。

よって字書だけで結論を出すのは危険なのですが、用法を見るとまあ、さほど的外れでもないのかなあ、というのが今のところの私の結論です。「厤」や「歴」を暦の意味で用いる例は結構あるのですが、その逆は今のところ見たことがないからです。

歴史と「歴」

ところで、今日本で「歴」とだけ書いたら「歴史」をイメージすることが多いのではないでしょうか。例えば「僕は歴オタで」と名乗ると、歴史好きだとだいたいの人がわかってくれます。

しかし、ctext.orgや中央研究院の漢籍データベース

https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/ihp/hanji.htm

などで「歴史」と検索しても、ほとんど引っかかりません(後者は一見かなりの数がヒットしますが、よーく見ると『清史稿』(民国)だったり、添付されたタイトルの説明文が引っかかっていたりがほとんど)。

そもそも、上に引用した『説文』でも「経過する」「過ぎる」という意味だとしていますし、『康熙字典』もこれを本義としています。他の意味もありますが、「歴史」という意味はなさそうです。

Wikipedia 日本語版の「歴史」の項目を見ると、どうやら、この言葉が本格的に使われ始めるのは、江戸時代の日本とのこと。本当かどうかはもう少し調べないとわかりませんが、中国の状況は上記の通りです。なお、中国でも民国以降は随分使われます。

 

 

*1:清の鄭珍『説文新附考』https://ctext.org/library.pl?if=gb&res=85305に記載されているため。